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Month April 2012

最初に自動巻クロノグラフを作ったのはどこか?その17

ジャック・ホイヤーは回想しています。 1969年春のバーゼルにセイコーの「社長」だった服部一郎がきて、「最初の自動巻クロノグラフ開発の成功、おめでとう」と声をかけてくれたんだ。もちろんセイコーのクロノグラフについて何も言ってなかったよ。しかし、セイコーの社長が我々の成功を認めて声をかけてくれたということは、我々がやりとげたことに対するいろんな賞賛の中でも、かなり重要な意味を持つ賛辞だったと思えるかなぁ。 どうも煮え切らないコメントです。ジャック・ホイヤーはセイコーの「社長」がいさぎよく自分たちの負けを認めてエールを送ってくれたと理解したいみたいです。ただ、3月にもう量産してたんだったら、なんで負けを認めたんだ、という釈然としないものも感じているところが、このコメントからは汲みとれます。ゼニスに関しては一刀両断、「バーゼルで我々のほうが数ヶ月進んでいることはもう確信できた」です。この落差はどこから来ているのでしょう? ここでどうもセイコーのお家の事情が顔を出しそうです。服部一郎は当時は第二精工舎の社長でした。諏訪精工舎の社長にはまだなっていません。セイコーの自動巻クロノグラフ6139は諏訪精工舎製でした。服部一郎は、諏訪精工舎の自動巻きクロノグラフのことを知らずにジャック・ホイヤーに「おめでとう」と声をかけたんでしょうか? 諏訪精工舎はすでに3月にはセイコーファイブスポーツの量産を開始しています。発売日も決まっていたと考えるのが自然です。服部一郎はこの販売計画を知らなかったのでしょうか?なぜ彼は自社製クロノグラフのことに一言も触れずにジャック・ホイヤーに「おめでとう」と声をかけたのでしょう?単なるリップサービス?それともセイコーのほうが優位に開発を進めているという自信?あるいは、ほんとにまったく諏訪精工舎の開発スケジュールについて知らなかったのでしょうか? もちろんジャック・ホイヤーがそんなセイコーのお家の事情を知る由もありません。写真は当時のジャック・ホイヤー。腕につけているのはcal.11搭載のオータビアです。

最初に自動巻クロノグラフを作ったのはどこか?その16

なんだか日本人としては非常にもったいない気分になってきました。では、なぜセイコーのアナウンスが遅れたのか、そのあたりをちょっと探ってみましょう。 一つには当時セイコーはバーゼルには参加していませんでした。なので、バーゼルで発表するという手段がそもそもありませんでした。またセイコーの時計が世界的にブレイクしたのはやはりアストロンの発表後です。ところでこのアストロンの発表も、銀座の和光での発表のみでした。そもそも世界的な発表をするという手段の選択自体が当時は難しかったことが伺われます。 また、セイコーが自動巻クロノグラフのプラットフォームにローコストのセイコーファイブを採用したということも多少は影響したかもしれません。アストロンの定価は当時45万円、これは普通車よりも高い値段でした。これくらいのモノになるとやはりきちんとした場所できちんと発表しなければいけないという気分にならざるをえませんが、一方のセイコーファイブスポーツは16000円と18000円という値段付けでした。大学卒の初任給が3、4万円のころですからけっして安くはありませんが、それでも高価な時計の中ではローコストのほうでした。 ちなみにゼニスのエルプリメロの日本での定価は14万5000円。キャリバー11を搭載したホイヤーのカレラが9万3000円、モナコが10万5000円でした。 セイコーのウェブページでは、自動巻クロノグラフの開発は「国産初」ということになっています。また、2003年にセイコーが出版した英語の「A Journey in Time」にはセイコーの「国産初」のクロノグラフのことはまったく触れられていないようです。

最初に自動巻クロノグラフを作ったのはどこか?その15

ではセイコーのクロノグラフはどうだったのでしょう?もう一度年表を並べてなおしてみましょう。 1969年1月10日 ゼニスがエルプリメロの試作品をスイスの特定のプレス向けに発表 1969年3月 セイコーがセイコースポーツファイブ6139を量産開始 1969年3月3日 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11を大々的に発表(スイス、ニューヨーク) 1969年4月 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11をバーゼルで発表 1969年5月 セイコーがセイコースポーツファイブ6139を発売 1969年夏 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11をデリバリー開始 1969年10月 ゼニスがエルプリメロをデリバリー開始 こう並べてみるとどうですか? どうも一番最初に自動巻クロノグラフを作ったのはセイコーのような気がしてきませんか? ただし、残念なことにセイコーの発表は5月でした。これではセイコーの自動巻クロノグラフは、極東の島国でひっそりと量産が開始され、ひっそりと島国向けにアナウンスされた、ということになってしまっても仕方ないかもしれません。 セイコーの自動巻クロノグラフは、セイコーファイブというローコストの時計をベースにしていましたが、設計にも見るべき点がいくつかあります。クロノグラフの制御にはピラーホイールを採用しており、また垂直クラッチを世界で初めて採用しました。この垂直クラッチ、いまではロレックスのデイトナが採用していることでも有名ですが、その世界初の採用はこのファイブスポーツです。 画像は一番初期のプロダクションロット、1969年3月のセイコースポーツファイブです。それなりに数がありますので、やはり量産に成功した後でアナウンスした、と見るのが自然と思えます。

最初に自動巻クロノグラフを作ったのはどこか?その14

では次にホイヤーブライトリングのグループはどうでしょう。 これは文句のつけようがなさそうです。3月にニューヨーク、スイス大々的に発表したということは、少なくともそれなりに量産の準備は出来ていたんでしょう。また4月のバーゼルでの発表は決定的ですね。 彼らは1968年の秋には100個ほどの量産サンプルを完成させていました。1969年1月のゼニスの発表に当初はショックを受けたものの、詳細が分かるにつれ(当時はインターネットもグーグルもありません。刊行物による情報の他は非常に限られた情報しか入手できませんでした)、自分たちのグループが遥かに先行していると自信を持ったといいます。 そして、いよいよバーゼルです。ホイヤーーブライトリングはそれぞれ、ブライトリングはクロノマティック、ホイヤーはカレラ、オータビアなど様々なキャリバー11搭載モデルを発表しました。一方、ゼニスは2、3の展示に留まりました。この展示で圧勝だと確信したそうです。 ところで、バーゼルの発表は量産準備ができているとはいえ、量産品ではありませんでした。一般に入手できるシリアル番号が入った量産品は1969年の夏に一般向けのデリバリーが開始されます。ゼニスのエルプリメロの量産はさらに遅れること4ヶ月の10月まで待たなければなりません。 写真はデュボアデブラによるクロノグラフモジュールの設計図です。

最初に自動巻クロノグラフを作ったのはどこか?その13

さて、世界初の定義がそう簡単ではなさそうだということは分かっていただけたと思います。 いよいよ1969年の出来事を年表にまとめてみましょう。 1969年1月10日 ゼニスがエルプリメロの試作品をスイスの特定のプレス向けに発表 1969年3月3日 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11を大々的に発表(スイス、ニューヨーク) 1969年4月 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11をバーゼルで発表 1969年5月 セイコーがセイコースポーツファイブ6139を発売 さて、これだけ見ると、どこが一番最初に自動巻クロノグラフを作ったように見えるでしょうか? 発表の順序だけだと、ゼニスですね。ただこの時はいくつかの試作品だけでした。実際にエルプリメロが入手できるようになるのはこの1969年10月です。やはりある程度量産の目処がたたないと大掛かりなプレスイベントは出来ませんし、一般大衆の注意を引きつけるのはちょっと難しいかもしれません。 エルプリメロは、1969年に発表された自動巻クロノグラフの中では、唯一現在でも入手できるムーブメントです。これは当時のエルプリメロの開発陣の設計思想が非常によかったということを歴史が証明しているとも言えます。また、かなり高いところに設計目標を置いていたため、当初の開発に時間がかかったのも致しかたないとも言えるかもしれません。 写真はテレビアニメ、ルパン三世から。次元大介もエルプリメロを使っていました。

最初に自動巻クロノグラフを作ったのはどこか?その12

日本の常識としては、量産が完了して発表するのは当り前で、発表は「発売」と同じです。 ところが世界の常識はちょっと違うようです。発表したといっても、かならずしも「発売」しなくてもいいようです。まあそれはそうですね。最近のバーゼルでも同じです。バーゼルで発表された時計が入手できるまで半年待ちなんていうのはザラにあります。40年後の現代ですら、そのペースが許容されるのですから、40年前はいったいどうだったんでしょう? さらに「量産開始時期」というのは回りからは分かりません。分かるのは「いつ、どこで、どのような形で発表したか。それはどのくらいの数だったか。品質はどの程度量産に耐えうるものだったのか」というアナウンスされたときの状況だけになります。 では、量産の準備が完全に整っていなくても発表したもの勝ちなのでは? もちろん時計に限らず、どんな発明にもその要素はあるでしょう。いくら自分で発明していても、それを「発明した!」と一般にアナウンスしてくれなかったら、一般からは発明していることは分からないです。それを分かれと言われてもちょっと困りますよね。

最初に自動巻クロノグラフを作ったのはどこか?その11

IEEEという国際的にもかなり権威の高い学会に認められたセイコーアストロンの受賞でも日本語と英語が微妙に違う、という話でした。 ここで重要なのは以下のポイントです。 英語の原文では、一般向けと明示されています。業界ではすでにクォーツ時計は使われていました。セイコーの社史にも1958年、放送局向けのクォーツ時計を商品化とあります。 英語の原文では、「量産」と「発表」とを明示的に分けています。つまり、諏訪精工舎はセイコーグループの時計を生産する会社として、世界初の時計の量産に成功しました。その発表は1969年の12月25日に行なわれた、となっています。 特にこの2.「量産」と「発表」とが分かれている点が重要です。つまりは、量産の準備さえできていれば、センセーショナルな発表の後に量産を開始、実際の「発売」は後でもいいことになります。 ところが日本語訳では、一言で、1969年12月25日に「発売」した、となっています。「発売」という場合、すでに量産は完了しており、その発表当日に量産一号を入手することができるわけです。発表前に量産しているのは当り前のことで、わざわざ量産と発表とを分ける必要はない。腕時計は量産してナンボであって、準備ができたから発表した、その日にはモノを入手できるのは当り前だよ、ということなのでしょう。 さて、この日本の常識って、世界の常識なんでしょうか?

最初に自動巻クロノグラフを作ったのはどこか?その10

さて世界初の話の続きです。この定義がどのくらい難しいのか、クォーツの世界初の話を例にとって検証してみましょう。 セイコーは、2004年、クォーツ式腕時計の開発で、IEEE(アメリカの電子情報通信学会)からマイルストーン賞を受賞しています。IEEEは電気、電子業界では国際的にも権威が高い学会です。その学会に認められたことよる受賞ですから、少なくとも公平な立場から見て世界的に大きなインパクトを残したと、世界から認められたということに他なりません。 ではその日本語を見てみましょう。 抄訳すると、 10年間の開発努力の末、1969年12月25日に世界に先駆けて発売した、 となっていますね。 この「発売」が重要です。ちょっと気にかけておいてください。 IEEEはアメリカの学会ですから、原文は英語です。 簡単に訳してみますと、 諏訪精工舎は、セイコーの生産会社として、一般向けとして最初のクォーツ腕時計を量産した。それは1969年の12月25日に東京で発表された。 となります。 ちょっと違うのが分かりますね。これが実はかなり大きな違いになってきます。

最初に自動巻クロノグラフを作ったのはどこか?その9

結局、北京空港から飛行機が飛びませんでした。いやー夜の10時半にキャンセルと言われてもなぁ。日本だと地上職員さんが一所懸命にいろいろとやってくれるのでしょうが、さすがは中国。やっぱり大陸はスケールが違います。結局1時間半待って荷物を取って、さらに1時間待って新しいフライトを予約しました。もちろん代替の宿泊施設や毛布なんか用意してくれるわけがないので、ホテルも取り直しです。もちろん近くのホテルは満杯です。とまあいろいろやって、やっと一段落です。いかに自分が日本に慣れきって怠惰になっていたのかを痛感します。(^^) さて、クロノグラフに自動巻機構を設けるという世界初の試みを行った時計メーカー3社が出揃いました。ゼニスそしてホイヤー-ブライトリング、セイコーです。 では次に「世界初」の定義をしましょう。これって、以外と難しいんですよね。ギネスブックが一私企業のコレクターブックなのに、あれだけ好評を博している理由の一つがここにあると思えます。つまり、「世界一」の基準をきちんと定義して比較できるようにしてあるということです。 ちょっと以前、阪神タイガースの金本選手の連続イニング出場の記録がギネスに認定されるかされないかという話題がありました。曰く、それは公平な記録であるのかどうか、日本の野球のレベルはアメリカから見ると低いのではないか、年間160試合をアメリカ中飛びまわるメジャーリーグと、年間140試合を日本で行うプロ野球とでは連続イニング出場の強度が違うのでは?などと議論があった模様です。結局認められたのですが、野球というデータがすべて公開されて公式記録として残っているプロスポーツでこれですから、クローズドな体質を色濃く残す時計業界で、誰が一番最初にある機構を考え出したのか、これを決めるのは実は思ったよりそう簡単でもないかもしれません。

最初に自動巻クロノグラフを作ったのはどこか?その8

では最後のメーカーに行きましょう。もちろん我らがセイコーです。 セイコーは創立を1881年まで遡れます。これは明治維新からわずか13年後ですから相当古いころといえます。アメリカの時計メーカー、ハミルトンの創設が1892年と自社のホームページでアナウンスしていますから、それより10年近く古いです。同じ1969年には世界初のクオーツ式腕時計を発表して、スイス時計産業にかなり大きな影響を与えます。 世界初のクオーツ式腕時計を開発したのは、諏訪精工舎(現在のセイコーエプソン)でした。一方東京の亀戸の第二精工舎(現在のセイコーインスツルメンツ)は機械式時計に力を入れていました。セイコーは伝統的にこの二社がしのぎを削って新製品を開発してきています。実はセイコークオーツの発表の一年後1970年には第二精工舎から世界初の低消費電力CMOS ICを使ったクオーツ時計が発表されています(36SQC)。クロノグラフも同様で、諏訪精工舎がこのころは自動巻きクロノグラフの開発も行っており、70年になると同様の自動巻きクロノグラフが第二精工舎からもリリースされます。 セイコーは、ホイヤーやゼニスと違って、ムーブメントメーカーを買収するというわけにもいきませんので、自前の仕組みでクロノグラフの自動巻き化を推進することになります。そのプラットフォームに選ばれたのが、セイコースポーツファイヴでした。ホイヤーやゼニスと大きく違うのは、セイコーは当初からローコストを追求する選択をしていた、ということです。

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