さて、いよいよモジュールメーカーのデュボア・デブラの出番です。 この会社はいまではモジュールメーカーとして不動の地位を占めています。ブライトリングやジャガールクルト、パテックフィリップ、ロレックス、オーディマピゲ、リシャールミルなどありとあらゆる有名メーカーにモジュールを提供しています。得意とするのはカレンダーモジュールと、クロノグラフモジュールです。APのロイヤルオークオフショアのモジュールはこのデュボア・デブラの仕事です。 会社の創立は1901年まで遡れます。デュボア・デブラは当時からクロノグラフなどの複雑機構を得意としていました。現代のクロノグラフ(ストップウォッチ機構つきの時計)の原形は、1862年のロンドン博覧会で発表されたアンリ・フェレオル・ピゲ(Henri-Fereol Piguet)というのがおそらく正しいでしょう。ゼンマイの動力源(香箱)は一つで、ストップウォッチの動作中に時計の動作が止まることはありませんでした。そしてブライトリングによる腕時計型クロノグラフの開発は1915年とされていますから、1901年のデュボア・デブラの創設時はまさにクロノグラフの開発が発展途上だったころと重なっています。 そのデュボア・デブラは1960年代当時はホイヤーと密接な関係にありました。ホイヤーのキャリバー7700のストップウォッチはデュボア・デブラの仕事です。他にはモンテカルロストップウォッチ(7714)のモジュールもデュボア・デブラです。 こうしてデュボア・デブラは、ビューレンによる薄型の自動巻きをベースとしたクロノグラフ用のモジュールを一から開発するという、このプロジェクトで一番難しい個所を担当することになります。このグループの自動巻きクロノグラフの開発競争は、ほぼデュボア・デブラ次第ということになったわけです。
さてホイヤーーブライトリングというスポンサー連合が結成され、薄型の自動巻モジュールもビューレンからの新作で目処が立ちました。あとはクロノグラフモジュールです。 クロノグラフというのは、簡単に言うとストップウォッチです。いまだと100円ショップで売ってますので、どんなに難しかったのか、ちょっと感覚として分かりにくいですね。ただ、現在のような仕組みがない時代、たとえば昔のオリンピックでの計測は大変でした。人間が手でスタート、ストップを押していたので、人によってばらつきがでます。そこで10人程度で計測して、その平均を公式記録とするなどの方法がとられていました。 その他の社会的な要請としては、当時歴史的な発達を遂げた航空界などもありました。時速1000Kmで飛んでいると、1秒で280mも移動してしまいます。 50年代、クロノグラフは、このようなプロフェッショナル用途から一般の腕時計への展開がはじまっていました。1960年代にはブライトリングはアメリカで5万ドル(現在の価格で約400万円、物価が10倍として4000万円)を投じたキャンペーンを展開、007のサンダーポール作戦ではショーン・コネリーの腕にもブライトリング トップタイムがはめられました。 さて、この計時機能ですが、計時する時は、本体の時計部分から動力を分けてもらいます。これは動力元のゼンマイからいうと、動かすべき歯車が増えることになります。そのために精度が落ちては計測の精度が落ちてしまいますので、このクロノグラフモジュールの設計には、本体部分をきちんと理解した上で、限られたスペースに複雑なモジュールを設置する必要がありました。
まずはベースとなる薄型自動巻のムーブメントを提供したビューレン(Burnen)から見ていきましょう。いまはもう名前のないメーカーですが、1873年創業の歴史あるメーカーであり、当時は高い技術力を持っていました。特に薄型の自動巻のムーブメントに定評があり、世界で最初のマイクロローター自動巻の特許を1954年に取得しています。 自動巻きという機構は、人間の腕の上下動を回転する動きに変え、それによってゼンマイを巻き上げる機構です。ところが人間の腕の上下動は実は思ったほど大きくなく、勢いよく回転させるために、大きく重い回転ローターが使われるのが常でした。しかしこの場合、回転ローターの分だけ、ムーブメントは厚く、重くなります。 ビューレンの開発した方法は、小さい(マイクロ)回転ローターによって、自動巻きを行うものでした。この場合、ムーブメントは薄く、軽くできますが、ゼンマイの巻き上げ効率をきちんと確保することが必要になります。このマイクロローター技術で一般的に有名なのはユニバーサル・ジュネーブですが、ユニバーサル・ジュネーブも、当時はビューレンとの特許紛争に敗れ、ビューレンにライセンス料を支払っていました。 これが、モジュール型のクロノグラフを開発しようしていたホイヤーブライトリングの目に止まります。ホイヤーは、1950年代後半からモジュール型の自動巻クロノグラフを構想していたといいます。そして1962年、ビューレンの新しいマイクロロータームーブメント、キャリバー1280がリリースされます。これは厚さわずか 3.2mmのムーブメントでした。
さて、ブライトリングーホイヤー連合の簡単な紹介をしましたが、では肝心のムーブメントはどこが作るの?と思ったあなた、あなたはかなりの時計通ですね(^^) 当時から、スイスの時計産業は高度に分業化されていました。ダイヤルや針、ムーブメント、ケース、追加モジュール(カレンダーやクロノグラフ機能)、このそれぞれについて、それぞれを専門で作るメーカーがいます。時計の心臓にあたるムーブメントでいえば、ホイヤーのクロノグラフはバルジュー社のムーブメントを使っていましたし、ブライトリングではヴィーナス社のムーブメントが有名です。 この連合の最初からのアイディアは、マーケットへのリリースを最優先し、薄型の自動巻きムーブメントにクロノグラフのモジュールを載せるというものでした。そこで以下を採用しました。 薄型の自動巻きムーブメント…ビューレン(Buren)によるマイクロローター自動巻きムーブメント クロノグラフモジュール…デュボアデブラ(Dubois Depraz)によるモジュール ビューレンというメーカーは今はもうすでにありません。一方、デュボアデブラは、モジュール専業メーカーとして現在もその存在感を増しています。 次からこのそれぞれについて見ていければと思います。
さて、次はブライトリングーホイヤー連合について紹介をしましょう。 ブライトリングーホイヤーは、時間の計時機能を装備した、クロノグラフを主力とする時計メーカーのなかでは本命でしょう。 ブライトリングは航空時計で有名です。初めて回転計算尺をベゼルに装備したクロノマット(1942)、それを航空時計に応用したナビタイマー(1952)はあまりに有名ですね。 一方、ホイヤーはレース界で有名でした。モナコやカレラ、オータビアなど有名ですね。ホイヤーはクロノグラフに注力するために50年代後半は通常の自動巻のラインを生産終了にしていました。 ところで、彼らは完全な競合会社でした。双方ともにクロノグラフを主力とするメーカーで、完全にラインアップが重なっています。その両者が手を組むことになるのは、やはり新製品開発のコストの問題でした。ブライトリングやホイヤーといえども、一社だけで数年はかかる新しい自動巻クロノグラフを支えるのは簡単ではなかったのです。 当時のジャック・ホイヤーはウィリー・ブライトリングにこう持ちかけたとされています。 「ホイヤーは、アメリカとイギリスで強い。しかしヨーロッパ大陸では弱い。ブライトリングはイタリアとフランスで強い。けれどもアメリカとイギリスではそう目立たない。両者ともに自動巻クロノグラフが必要だ、しかし、どちらとも一社だけで開発するのは難しい、ここで手を組むのは完璧なソリューションなのじゃないだろうか」 こうやってブライトリングーホイヤー連合が誕生しました。特筆すべきは、当初から彼らはターゲットのマーケットを明確に意識していたという点です。 写真は50年代後半のブライトリング ナビタイマー1st、ref.806です。
さて次は各陣営の紹介からまずいきましょう。まずはゼニス-モバードから。 ゼニスのムーブメント、エルプリメロは今ではとても有名です。1990年代にロレックスのデイトナのベースムーブメントに採用されてから、さらにクロノグラフメーカーとして有名になった感があります。 ただし、この60年代当時はそう有名でもありませんでした。当時クロノグラフ、時間の計測を行う計器メーカーとして有名だったのは、オメガ、ブライトリン グ、ホイヤーです。40~50年代のゼニスはスイスのクロノグラフメーカーの協会にも所属しておらず、クロノグラフのラインアップは限られており、他社か らのムーブメント供給に頼っていました。 それが一変するのは1960年にゼニスがムーブメントメーカーのマーテルを買収してからです。マーテルは、ユニバーサルジュネーブや他にクロノグラフの ムーブメントを供給していました。この買収により、ユニバーサルジュネーブ285はゼニス146シリーズとなり、ゼニスはクロノグラフのムーブメントを供 給できるようになりました。 また協力メーカーのモバードは、60年代当時は高い技術力を持ったメーカーで、特に精度を出すための高振動化に高い技術力を持っていました。
Last updated on September 3rd, 2021 1969年(昭和44年)というは実にエポックメイキング年であった。アメリカのアポロ11号が月に着陸し、時計業界では、セイコーが世界初のクオーツ腕時計を発表した。一方で、同時期にこれも世界で最初の自動巻きクロノグラフを発表した3つのグループがあったことはあまり知られていない。その3つのグループとは以下であった。 ゼニスーモバード ホイヤー、ブライトリング、ビューレン、デュボアデブラのグループ セイコー これらの3つのグループは相前後して革新的な自動巻きクロノグラフを発表する。今となってみると、何がそんなに難しかったのかよく分からないことも多いが、いったい、何がそんなに当時は難しかったのか。 当時の設計手法 紙と鉛筆で設計して、組み上げてみて動かないときは修正する、コンピュータ支援設計システムがない当時、200~300の部品すべてについてこの作業を行う必要がある。 当時の量産技術 大量生産の技術はまだ現在ほど確立されていなかった。精度も現在ほどではなく、組み上げた後に調整しなければならない箇所も多かった。 開発費用 ホイヤー=ブライトリンググループは、当時で50万スイスフランと4年の月日を費やしたとされている。中小企業の開発としては、会社の死命を制する開発規模であった。 技術的な難易度の高さ。 クロノグラフは、時計の機能の他にいわゆるストップウォッチの機能を持つ時計である。限られた腕時計の体積に、時計のメイン機能、クロノグラフ機構と自動巻き機構を詰め込む必要があった。 今回から数回で自動巻きクロノグラフの黎明期を見ていきたいと思います。
さて、今回分かったナイジェリア詐欺の特徴をまとめて、いったんこの項終わります。 とにかく急がせます まだ口座情報を教えていないのに、銀行振込をしているよ、など。 モノについての質問、問い合わせはありませんでした。 日本円の振込にこだわります 流用するテンプレートがあるんでしょう。アイルランドからだと言うので、わざわざGBPにして送ったのですが、日本円にしてくれ、とのことでした。 銀行振込にこだわります 海外送金でよく使われるPaypalだと送金は一瞬で済みます。一方で銀行振込だと、数日かかることもあります。なので、銀行振込の手続きをしたよ、これが送金のログだよ、モノを送ってね、といって実際には振り込まれないという手口かと思われます。 英語が変 大文字を多用します。Thanks for your Mailなど。 おそらくナイジェリア英語の特徴的な表現があります。I will like toなど。 いまは、ナイジェリアの将来ある若者をこの手の非生産的な仕事から解き放つべく、 ナイジェリアの警察に詐欺関係の情報として通報しておこうかと情報を探しているところです。まあまたアップデートありましたら何か書くかもしれません。
さて、彼が働いていたというアイルランドの特別な税務委員会の実体はどうもなさそうだということが分かりました。最初から99%詐欺だろうとは思っていましたが、そろそろ100%詐欺と断定していいでしょう。なので、 モノはアイルランドに送るから、住所を教えてね。政府公認の税務委員会で働いていたんだったら、きちんとした手順は、よく分かっているよね? と送ってみました。そうしましたら、 ナイジェリアでしか受け取れないんだ。これでいいかどうか教えてくれないか。 とナイジェリア時間の朝の5時にメールがきました。よほど慌てていたらしく、同じメールが3通(!)も来ました。(^^)
さて、特別な税務委員会で働いていたからアイルランドでは高額品を政府がチェックしているのはよく知っている。だから、ナイジェリアにモノを送れ、という詐欺師でした。 まったく、そういう脱税まがいの趣旨を持つ委員会なんてろくな委員会じゃないですよね。ただし、ほんとうにそういう趣旨の委員会がある可能性もゼロではないと思いましたので、いちおう彼に聞いてみました。 よかったら特別な税務委員会について教えてくれへん? 彼の答えはふるっていました。それは、 overseas international trade and international import and export trades in Irelad という委員会なんだ、てことらしいのです。 い やー、ふざけた名前です (^^) だいたいアイルランドって島国でしょう。アイルランドの海外における国際貿易と国際的な輸出入貿易委員会、って日本語 でも屋上屋を架すっつーか、意味が被りまくっています。こんなふざけた名前の委員会が実在するとは到底思えません。
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