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Month September 2017

機械式時計はなぜ動くのか その19

ビッグニュースが飛びこんできた。ゼニスのデファイ・ラボである。なんと15Hz(振動数でいえば30振動)という高周波で動作し、その精度はおおよそ10倍だという。15Hzというのは、いままで高振動とされてきたエルプリメロの10振動(5Hz)の3倍もの速度である。しかもそれが機械式で動作するというのだからすごい。 やはりこのメカニズムについても考察を加えなければいけないであろう。 例によってQ値と精度の関係から予測したい。10倍の精度をもたらすためには Q値もおおよそ10倍である必要があった(機械式時計はなぜ動くのか その14))。この時計の周波数は通常4Hz(8振動)とされている時計のおおよそ4倍の速度である。たしかに周波数が高いことは精度向上に寄与する。しかしながらクォーツ時計の発振周波数は機械式時計の1万倍もの速さであるが、Q値として比較すると10倍~100倍のオーダーでしかなかった。 ところがこのデファイ・ラボ、10倍の精度を4倍の発振周波数で達成するという。ということは、これは従来の機械式時計の仕組みではなく、新しいシステムに分類されるということになるだろう。C.O.S.Cクロノメータ規格が-4~+6秒であるから、この10倍の精度を達成するとすると、日差+-0.5秒程度、一ヶ月でも15秒程度である。つまり、通常のクォーツ時計と同等の精度が期待できる新しい機械式腕時計のシステムが誕生したということになりそうだ。 どのようにしてこれを実現したのか。半導体/MEMS技術である。シリコンの単結晶をクリーンルームで結晶成長させ、好みの形に仕上げる。この技術は、例えばDLPを使ったプロジェクターなど、実は広く身近で使われている技術の一つである。いかにもギイ・セモン氏らしい目のつけどころだ。タグ・ホイヤーの技術顧問だった時代の彼の話を聞いたことがあるが、彼は現状の時計業界に大きな不満を持っていた。曰く「機械式時計のシステムは古すぎる。新しい技術がほとんど導入されていない。航空宇宙技術などの進展は著しいのに機械式時計の世界は100年前の技術を使い続けている」。その言葉通り、タグ・ホイヤーの技術顧問だった時代、彼はベルト駆動のモナコV4、振動子としてヒゲゼンマイの代りに永久磁石を使用したペンデュラムなどの開発をリードしてきた。今回のデファイ・ラボは、いままで彼が開発してきた製品の中では、もっとも古い安定した機械式時計のシステムに近いシステムといっていいのではないだろうか。 今後少しの間、このキャリバーを見ていくことにしたい。以下がこの革新的なキャリバー Zenith ZO342についてのwatch.tvによる解説ビデオである。  

機械式時計のどこがいいのか その37

腕時計にとってブランドとは、その所有者にとっては一、二に大切なものであろう。好きなブランドの時計を身につけることで、自分っていまこれを装着しているんだ、と自己満足にひたることができる。このような装飾品として、女性には宝飾品があるが、男性にはなかなかこのような装飾品というのは見当らないのではないだろうか。 ただいくらそのような高級時計といっても価格帯でいえば、その価格はせいぜい国産の軽自動車から国産乗用車の中級クラスの価格である。ということは、ローンさえ組めば一般的な社会人であれば誰でも購入できる物品であるということでもある。しかしそれが好きな人の場合、そのお気に入りのブランドの時計をつけている満足感は、乗用車に乗っているそれよりはるかに大きい場合がある。自分のアイデンティティと言う人までいる。 たかだか時刻を知らせる機械でしかない時計に、この満足感はどこからくるのであろうか。これからしばらくは時計のブランドというものについて考えてみたい。 最近EPSONからTrumeという新しいブランドが発表された。 ウェブページからキャッチコピーを引用する。 「1942年の創業以来、磨き続けたウオッチ製造技術と、 高精度センシング技術。 エプソンが培ってきた多彩な技術を結晶し、 誕生した独創の高機能ウオッチ”TRUME”。」 この文章には少し解説が必要であろう。 1942年の創業というのは、当時第二精工舎(亀戸)が出資し、諏訪市に(有)大和工業を設立した年である。これが諏訪精工舎の起源であるとされており、EPSONは創業をこの年であるとしている。 このキャッチコピーにある通り、その後の諏訪精工舎の開発の歴史は華々しい。 国産時計として代表作となる マーベル 初代ロードマーベル 初代グランドセイコー はすべて諏訪精工舎の作であるとされているし、1969年には二つの世界初を同時に達成している。 クオーツアストロン 「世界初」自動巻クロノグラフ セイコー5スポーツ 6139 これだけ見ても素晴しいきら星のような履歴である。当時の精工舎が諏訪に開発拠点を設けたのは間違いなく大成功であった。 その上、近年ではグランドセイコーのクォーツムーブメント9Fおよびスプリングドライブを開発したのも旧諏訪精工舎の流れを組むセイコーエプソンとなっては、「磨き続けたウオッチ製造技術」を名乗る資格は十二分にあると言えるであろう。 今週の時計はロードマーベル。国産時計初の高級時計としてデビューした、まごうことなき高級時計である。

機械式時計はなぜ動くのか その18

ようやくQ値という物理量が時計に関係する量になってきた。テンプを取りだすのは時計師さんでなければ難しいが、手巻き時計を持っておられる方なら分かるであろう。止まってしまった手巻き時計を手に取るとしばらく秒針が動いていることがある。一回動きだしてしまえばそれは簡単には止まらずしばらく動いている。一回止まると電池を交換しないと動きださないクオーツ時計に慣れていると奇妙な現象だが、高精度な時計であればあるほどこの時間は長くなるはずである。つまり、Q値の高い時計であればあるほど、その一回の回転のロスは小さい。ということは一旦動いてしまえばその動き続ける時間は長くなる。 もちろんこの場合は一回動き出したテンプのトルクから秒針を含む輪列も駆動する。その分もテンプのエネルギーは消費されるから正確なQ値は算出できない。しかしながらいちおう参考までに手元にある時計でいくつか測ってみると、ナビタイマー806が30秒くらいは動いており、このウェブの表紙にもなっているVZSSは10分!くらいは動いていた。高精度を目指して作られた時計が今でも十分通用する精度で動作する傍証の一つといえるかもしれない。 さて高精度な機械式時計を作るためにはどうすればよかったか。トルクのロスをできるだけ抑えるため、歯車を磨く。テンプにひげぜんまいを使う。穴石をきちんと埋め込み、歯車がきちんと動作するようにする。これらが昔から機械式時計の作成者たちが連綿と行ってきたことである。これを行うことで機械式時計は十分な精度が出る。Q値の理論が提唱される以前から時計を作ってきた人たちは当然ながらそのことを知っていた。 実はその仕組みはおそろしく完成された仕組みだったのかもしれない。そして、そのことは現代の理論でも証明されているといえるのかもしれない。 今週の時計はブライトリングナビタイマー 806である。世界で最初に回転計算尺を装備したモデルである。電子式コンピュータなどない時代、当時は対数の計算に計算尺を用いていた。これより大分時代が下ったアポロ計画でも船内では計算尺を用いて計算が行なわれた。それが常に腕に装備されているとは、当時は本当に実用的な腕時計だったに違いない。 この稿は、一回これにて筆を置くこととしたい。

機械式時計はなぜ動くのか その17

Q値という「物理量」についての話を続ける。「物理量」とはそもそも人間が考えた仮説の一つであった。仮説は、汎用的な概念を含んだ仮説であればあるほど分野を超えて広く使われるようになる。ニュートンの「万有引力の法則」では、リンゴが落ちるときに働く力と、天体と天体との間に働く力とは同じ法則に従っていると説く。一見まったく違った現象に見えるそれらを汎用的な法則で説明したからこそニュートンは偉大であった。 Q値に戻る。この概念は、Valjoux 22 の初出と同じ1914年に提唱された。それ以来、分野を超えて振動現象の品質について広く使われる定義になっている。振動現象とは、ある一定期間内に繰り返される周期的な運動のことであり、ヒゲゼンマイの収縮運動は間違いなく振動現象である。そうなると、時計の場合もQ値は定義でき、実際に以下のように定義される。 Wはその振動現象を行っているシステム、ここではテンプに蓄えられるエネルギー、ΔWは一回の振動で失なわれる量である。 つまりは、一回テンプを動かして、それがどのくらい動き続けたかを観測できれば時計のQ値は実測できる。実際にテンプのみを取りだして、一回それを収縮させ、それが20秒間動き続けたとしよう。この場合 Q値はおおよそ300になる。5振動は 2.5Hzであるから一秒あたり2.5回往復運動をする。それが 20秒動作したということは 50回テンプが往復運動をしたということになる。ということは、一回の往復運動で1/50ずつエネルギーが失われ続けたということになるから、その往復回数に2πを乗算すればQ値は計算できる。 一方で例えば5振動の時計のテンプが2秒で止まってしまったとしよう。この場合Q値はおおよそ30になる。Q値が一桁違えば精度はおおよそ一桁変わってくると予測できた (機械式時計はなぜ動くのか その14)から、Q値が30の時計の日差が+-60秒程度だとすると、Q値が300の時計はおおよそ日差+-6秒程度に収まるであろうことが予想できる。もちろんQ値のみで日差は決まるわけではなくあくまで目安でしかないが、物理法則とはかくも素晴しく、我々の生活に予測を与えてくれるもののようである。 今週の時計は、「世界初の自動巻きクロノグラフ」の系統を汲むcal.12を搭載したホイヤーコルティナである。ホイヤーの70年代モデルの中ではあまり見かけないモデルだが、オクタゴンのフェイスやブレス一体型のデザインなど、1970年代の雰囲気がよく出ている時計だと思う。このモデルに関しては以下のリンクが詳しい。 ULTIMATE GUIDE TO HEUER CORTINA

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