腕時計とそれを取りまく世界 Since Apr 2012

Month December 2019

本物ノス丶メ その6

なぜ人は偽物を購入するのか、次に検証する購入のモチベーションは「本物の価格は高い」であった。 本当に「本物の価格は高い」のか、これが今回からの検証のテーマである。 まず前提条件だが、「高い」か「低い」かというのはほぼ100%主観的な判断である。その判断は人によって千差万別であり、比較対象の選択によって、どのようにも結論づけられる。そこで最初の取りかかりとして、日本国の公的な統計調査、消費者物価指数を一つの基準として取り上げたい。この指標は、年金の支給率の計算に使われ、日本銀行が金融制作における判断材料としても使う大変重要な指標である。調査の対象項目は、家計調査の結果、重要度が高いと結論づけられた項目であり、腕時計は、諸雑費、身の回り用品として調査項目に含まれている。まずはこの指標によって腕時計の価格の変遷をみてみよう。 上図が、1970年(昭和45年)から2018年(平成30年)までの48年間の調査結果(2015年基準)である。総合物価指数(図:青線)はこの期間でおおよそ3倍程度まで上がっている。比較のため自動車も抽出した(図:赤線)が、こちらは 1.6倍ほどに上昇している。その一方で腕時計の消費者物価指数はさほど変わっていない (図:黄線)。腕時計の価格は1970年から2018年までの48年間ほぼ一定であり、この間物価が3倍程度上昇したことを考えると、時計の価格感覚としては、おおよそ1/3 まで下落していると考えることができそうである。 今回の時計は、セイコーグランドクォーツ。グランドクォーツは、1975年(昭和50年)、機械式グランドセイコーの製造中止に伴ない導入された高級ラインである。月差5秒という高精度を誇り、10秒ごとの秒針停止機能(リューズを引くと、必ず秒針が00、10、20、30、40、50のどこかのインデックスで停止する)といった先進的機能を備えていた。この個体は、1976年製造の個体である。      

本物ノス丶メ その 5

引き続き、偽物を購入するモチベーションについて考察を続けたい。次に考察するのは以下である。 3. 社会性: 本物なんて不当に高いだけだし、偽物をつけるのはそれに対するアンチテーゼだ。 これにも一理あるかもしれない。本物の価格が不当どうかは次回以降に考えるとして、いつの時代も社会に対して反抗するのはとくにまだ社会体制に組み込まれていない若者たちの特権だ。「本当の価値はブランド(すでに確立された体制)にはない」という意見にも一見説得力があるように見える。 だが、考えてみてほしい。当たり前だが、本物がなければ偽物も存在しない。つまり偽物は、本物に付随するサブカテゴリーではあり得るが、その対立概念にはなりえない。偽物を着用することで、「内心ではそのブランドを認めています。でも買えないので偽物をしています」という主張に見えることはあっても、それを「本当の価値はブランドにはない」という主張に見せたいというのはなかなか難しいのではないか。 どうしても「本当の価値はブランドにはない」という主張をしたいのであれば、時計の場合は、リーズナブルに入手できる本物の時計をしたほうが良いかもしれない。たとえばセイコー5やオリエントなど安価で高品質な時計は日本では至極簡単に入手できる。定期的にメンテナンスすることで何十年と使い続けることができるし、販売店も多く、ラインアップも充実しているから、自分の気に入るデザインを見つけるのも難しくないだろう。これらの時計を着用して、「本物の価値はブランドにはない」という主張をすることは十分理にかなっているし、一貫性があって説得力があるように筆者には思える。 さて、今回の時計はクロノ トウキョウ。独立時計師の浅岡氏がデザイン、監修のみではなく検品まで行っている「機械式時計の入門機」。この個体は最初期ロットの CT001Gである。    

本物ノス丶メ その 4

さて人はなぜ偽物を入手してしまうのか、次に検証するモチベーションは以下である。 2. 外観: 本物か偽物かなんてどうでもいい。自分がカッコいいと思えればそれでいい。 これはリスクにならないのだろうか。 偽物なんて分かりっこないと思っているのかもしれない。 実はこれがけっこう分かってしまうのである。趣味の人が、趣味のモノの真偽についてある程度分かるのは当然だとしても、それ以外のバッグでもアクセサリーでも分かってしまうのである。それも日本だけでなく全世界的に分かってしまう。 筆者はかつて発展著しい中国の深圳(シンセン)地方にビジネス旅行したことがある。その時に二十歳前後の若い女性がルイ・ヴィトンやグッチといった一流ブランドのバッグを持ち歩いていることに驚いた。そこで、同行した中国人の友だちに「中国ってすごい発展しているよね。あんな若い娘があんなハイブランドの物を持ち歩いているなんて!」と尋ねた。すると彼は事もなげにこう言った「ああ、あんなの全部ニセモノさ。知ってるだろ。中国は、世界中のほとんどすべてのモノを作っているんだ。ニセモノだって作れるさ。あんな若い子が本物なんて持てるわけないよ。よく見てみなよ。」そう思ってよく見ると、何かヘンなのである。そんなハイブランドの物を持ち歩いているのに、それほど大事にしている様子がない。また服装や立ち居振舞もなんだか違う。人間の情報処理能力はすごい。一部のみではなく全体を観察することで、なんだかヘンだなぁ、と分かってしまうのだ。 つまり、偽物を着用する時に引き受けなければならないリスクとして、以下が考えられそうである。  周りから見ると「あの人ニセモノつけてる」と見られる可能性はかなり高い。とくに本物を持っている人から見るとすぐに違和感に気付く。 偽物をつけていると分かったときのネガティブイメージ。少なくともそういう人から何か買おうとは思わないだろう。営業職の人には致命的かもしれない。 今回の時計はセイコークォーツQR。往年のセイコークォーツの銘機である。セイコーについては、クォーツの発明がよく喧伝される。発明はたしかに素晴しい。しかし、それと共に素晴しかったのが当時のセイコーの特許戦略である。セイコーは特許をライセンスすることで、様々なメーカーがその新技術を使えるようにした。もし、セイコーがこの戦略をとっていなかったら、果して「革命」と言えるような速度でクォーツ革命が起きていたのかどうか。歴史にifは禁物だが、その場合はおそらく機械式時計の復興というイベントも必要なかったに違いない。

本物ノス丶メ その 3

さて、人はなぜ偽物を入手してしまうのか。このことについての考察を続けたい。まずは簡単なところから取りかかろう。 1. 知らなかった。ネットで安いから買ってみたら偽物だった。 これは意外と多いのではないだろうか。筆者はもともとPC趣味だったからインターネットの黎明期からネット上の個人取引の経験がある。自己責任も注意点も十二分に分かっていると自分では思っていた。 そんな筆者でも、一度だけ偽物をネットの個人取引で購入させられそうになってしまったことがある。 ある時たまたま、当時調べていたあるブランドの時計で、これって安いな~と思う商品をオークションサイトで見つけた。そこで、出品物の画像、出品者の過去の履歴などを一通り確認し、「特に問題なし」と最高額を指定して入札した。帰宅してオークションサイトを確認すると筆者が落札していた。だが、同時になにか変だとも思った。そこで再度確認してみると明らかな偽物であった。 偽物は、販売するのも購入するのも法律違反だ。筆者としては法律違反をするわけにはいかないから取引はキャンセルせざるをえない 。しかし筆者はその偽物を一旦落札しているので、システム上は-1がついてしまう。筆者のオークション履歴にある-1がこれである。 これ以降、筆者のネット取引の自分ルールに以下の項目が追加された。 安いな~と思ったときは要注意 思い込みは目を曇らせる。普段はできるようなことができなくなる。筆者の場合、再チェックするとすぐ分かるようなことに、思い込みで目が曇っているときは気付くことができなかった。 ブランド品は、基本的には不要不急の品物である。買わなかったからといって、損することはない。 今回の時計は、ロイヤルオークジャンボ5402。六本木で行なわれていたオーデマ・ピゲのイベントで展示されていたオリジナルのA番である。

本物ノス丶メ その2

さて世の中にモノが溢れている現在、なぜわざわざ入手しにくい、しかも高価な本物を入手しなければならないのか?法律論で片付けるのは簡単だが、それではこのブログも一行で終わってしまう。そこで、まずは「なぜ人は偽物を買うのか」について考えてみたい。 偽物を購入するためには、購入する動機が必要だ。そこで、まず最初に偽物を購入する動機を考える。おそらく以下くらいではないだろうか。  知らなかった:ネットで安いから買ってみたら偽物だった。  外観: 本物か偽物かなんてどうでもいい。自分がカッコいいと思えればそれでいい。  社会性: 本物なんて不当に高いだけだし、偽物をつけるのはそれに対するアンチテーゼ。 価格および入手性: 偽物と知っていたが、本物は高くて買えないし、そもそも希少で手に入らない。 実際に偽物をつけていらっしゃる方も電車や公共の場所で散見するから、これらの何れにもそれなりの説得力があるのであろう。 そこで、これらの項目それぞれについて、それがどのようなリスクを含んでいるのか、検証を試みたい。その結果、もしも法律以外のリスクがゼロとなるのであれば、それは法律以外に人が偽物を購入する動機を規制するものは何もない、ということになるはずだ。 今回の時計は1960年代のオメガコンステレーション。時計本体はもちろん風防、ブレスレットまですべてオリジナルの逸品だ。50年以上前に作られた時計だから無理はさせられないが、それでも日差5秒程度で快調に動作している。

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