Last updated on April 6th, 2023


本稿は、以下の2009年に行なわれたジェラルド・ジェンタへのインタビュー記事の翻訳です。ジェンタは2011年に亡くなっていますから、このインタビューは、ジェンタの晩年の貴重なインタビューだと思えます。原著の著作権は原作者に、本稿の著作権は筆者にあります。
https://www.veryimportantwatches.com/el/articles/interviews/creating_design_rules

ーー以下よりインタビュー記事

ジェラルドジェンタは、これまでで最も重要な時計デザイナーであるだけでなく、今日の時計のほとんどに独自の美しさを刻み込んでいる人物でもあります。
私は彼と何度も会うことができて光栄でした。この会話は2009年12月に行われました。

Constantin Stikas (以下CK):あなたの時計製造業界での軌跡をお聞かせください。

Gérald Genta (以下GG) :私は1931年にジュネーブで生まれました。15歳のときにジュエリービジネスの見習いを始め、不況に陥り始めていた1950年に卒業しました。その後はしばらくは職を転々とするしかありませんでした。23歳の頃、私は絵を描くことが大好きで、ジュエリーのデザインに情熱を傾けていました。しかし当時のスイスのジュエリー業界は、まだ初期段階にあり、仕事を見つけるのは困難でした。
結果として、私が受けた仕事のほとんどは時計メーカーからのもので、ケース、ダイヤル、ブレスレットのデザインなどすべて時計に関連するものでした。こうして約20年の間、私は時計をデザインし、また時計のデザインを販売してきました。

あなたがたの読者は驚かれるかもしれませんが、当時時計のデザインというものは、一枚あたり15スイスフランにしかならなかったのです。生計を立てるためにどれだけの量をこなさなければならなかったか、想像してみてください。
けれども当時のそのような状況においても、私は十分な資金を得ることができました。アメリカ、イタリア、フランス、ドイツなど私のクライアントは世界中の至る所にいましたから。私の最初のクライアントはアメリカのベンラス、ハミルトンなどでした。

その後、私は、オメガ、ユニバーサル、オーデマピゲなどスイスのブランドと契約を結ぶ機会がありました。それらの契約は多くの場合、下請けの部品メーカーを通じての契約でした。私の直接のクライアントはオメガではなく、オメガの下請け会社をを通して私はシーマスターやコンステレーションの製作に参加したということになります。例えば、あるモデルのケースをデザインしましたし、また別のモデルの為のダイヤルやブレスレットをデザインしたりしてきました。今日では、オメガのために私がどれだけの仕事をしてきたのか、オメガでも把握は出来ていないでしょう。まあそれでとくに問題はありませんけれども。

その後1969年に、私はデザイナーからプロデューサーへとステップアップを決断します。自分自身の時計メーカー、ジェラルド・ジェンタのブランドを立ち上げたのです。

1981年に私は時計製造の歴史に大きな影響を与えたユニークな作品をデザインしました。それはミニッツリピーターと自動巻き機構を備えながら、ムーブメントの厚みを2.72㎜にまで絞り込んだ、革新的な薄型コンプリケーションでした。これは1,000本以上売れ、大成功を収めました。 1994年に当時世界で最も複雑な時計であったグランソヌリを作成しました。1998年にはジェラルド・ジェンタSAを売却し、自分はペインティングに専念することとしました。その後 2001年にはまた新しいブランド、ジェラルド・チャールズを立ち上げまずが、これもまた二、三年後には売却してしまいました。

CK: ロイヤルオークに至るまでのオーデマピゲとのお付き合いは長いものだったのですか?

GG: 約20年間、1953年!から仕事をしていました。20年近くに渡ってオーデマピゲの全てのコレクションに関わってきました。ロイヤルオーク登場以前のオーデマ・ピゲによるクラシックな作品はすべてジェラルド・ジェンタによってデザインされているのです。

CK: ロイヤルオークの構想はどのように始まったのですか?

GG: ある日の午後4時、オーデマピゲの経営ディレクターであったジョルジュ・ゴレイ氏が私に電話をかけてきて言いました。「ジェンタさん、今までにないスチール製のスポーツウォッチが必要だ。全てにおいて新しく、防水性のある時計だ。」
私は、彼が欲しいものは、これまでにない防水テクノロジーであると理解しました。
「明日の朝までにデザインが欲しい。」とのことで、私は一晩でデザインを書き上げました。私のアイディアは、潜水ヘルメットの構造を時計ケースに応用したものでした。8本のネジとジョイントとがケースの外装デザインとして見えるようになっていました。私は、 直ぐに試作のゴーサインを貰いました。そして、一年かかって自分自身で試作を完成させました。1970年に私は時計をデザインしました。その後、量産ラインでの製造の準備にもう一年必要必要となり、最終的に1972年のお披露目となったのです。

CK: しかしその努力はすぐには報われませんでしたね。

GG: 最初は全く駄目でした。当時の標準からすると、その時計は大き過ぎたのです。

CK:そのケースの直径は?

GG: 36×38mmと、とても大きいものでした。その当時の時計、例えばロレックス・オイスターは32×34mmでした。すみませんが、数字が正しくないこともあるのは許してください。最近ではすべてをミリメートルによって議論しています。ただ私はこの言語をよく理解していないのです。それは非常に奇妙です。

私は、大きな時計を嫌い、厚い時計を嫌います。それが現在の流行ですが。。。私は流行には興味ありません。流行は、いずれ時代遅れになります。ご覧のとおり、今日時計メーカーはまた装着感に優れる超薄型の時計をリリースしようとしています。大型の時計、技術的に高度に洗練され、先進技術を投入された、ダブルトゥールビヨンのような時計は常に存在します。もし1ダースのトゥールビヨンを搭載することが出来るのであれば、それを搭載するでしょう。。。そういうものは大変馬鹿げているし、私はまったく関心を持てません。

CK: しかし、そういう時計を好むクライアントがいますね。。。

GG: クライアントの趣向は重要です。そして、私たちの誰もがクライアントになりえます。これまでにも、上品な趣向に全く欠ける人々が大勢を占める時期が何度も有りました。我々はそんな顧客に何でも売りました。ルビー、サファイア、エメラルド、ダイヤモンドなど、出来得る全ての色彩の宝石で飾った時計、この手のものを彼らはとても好みました。しかし、こういったトレンドは、ある日突然変わってしまいました。今日では、豪華絢爛な時計を私たちの好むクライアントには、必ずしも全てにダイヤモンドをセットする必要はありません。もちろんダイヤモンドを好むクライアントはいます。ただ大多数は、人目を惹く技術的に洗練された時計を好みます。トゥールビヨンやレトログラード表示などですね。

CK: オーデマピゲに続いて、あなたは他の多くの企業とも仕事をしましたね。

GG: 私はショーメ、ヴァンクリーフ&アーペルの時計をデザインしました。そして、ブレゲのコレクション全体のデザインもを請け負い、同時にブルガリのためにも働いていました。私は、ベゼルにブランド名を2回刻んだブルガリ・ブルガリをデザインしました。当初ブルガリの担当者たちはこれを酷いデザインだといいましたが、後にブルガリ・ブルガリは大きな成功を収め、現在にまで続いています。IWCに関しては、オットという男性から時計のデザインを依頼を受けました。このようにして、インヂュニアは出来上がったのです。

CK: 他の成功を収めた時計でも、デザイン要素としてネジを効果的に見せていますね。あなたが40年前に生み出した技術のディテールは、今日ではほとんどのスポーツウォッチに必要な要素として確立されましたね。

GG: はい。当時、それは革新的な出来事でした。

見せるようにするということは、それまでは隠されていたということです。私たちはいつも全てのものを隠しています。ファッションの世界とも少し似ています。今日、女性の下着を見せるようにします、それは非常に大胆な行為だと思われていますが。時計には常にネジが使用されてきました。そしてネジは隠しておかなければなりませんでした。私はそのネジを技術要素として見せることで、ネジを興味の対象としたのです。

CK:その後すぐに、ノーチラスを作成しましたね。

GG: それはバーゼル・フェアの最中にデザインした時計の一つです。私はホテルのレストランにいました。何人かのパテックの社員がダイニング・ホールの一角に陣取っており、私は一人離れて他の一角に座っていました。私は、ウェイターのリーダーに「紙と鉛筆を持ってきてくれないか。デザインしたいんだ」と言って、パテックの人たちが食事をしているのを観察しながらノーチラスをデザインしました。そのスケッチは5分位で書き上げたものでしたが。パテックの人たちには直ぐに気に入ってもらえました。私は自分のスタジオでプロトタイプを作成し、早く製品化できるように努めました。

CK: そのときあなたはどのような時計を付けていましたか?

GG: これは書かないようにしていただきたいのですが、私は時計が好きではないのです!

CK: なぜ書いてはいけないのですか?それはとても印象的なお話です。

GG: 私にとって、時計は自由に対するアンチテーゼです。私は芸術家であり、画家です。時間の制約に縛られるのは嫌いです。それは私はいらただせるものです。

CK: そして、なぜ書いてはいけないのですか?

GG: それはあまりたいしたことではないかもしれません。しかしながら、私は時計を身に着けるのは好きではありませんが、時計を創るのは本当に好きなのです!個人的により惹かれるのは高品質の靴です。これは快適さをもたらしてくれます。またエレガントな服にも惹かれます。エレガンスは私の個性の一部なのです。

CK: ウォッチメイキングの業界には、二つの相反する世界があります。一方は自分たちのビジョンをみなに提案するために時計を創造するクリエーター。そしてもう一方はマーケティングです。彼らは、顧客のニーズを見極めようと努力します。たとえ顧客が自分たちのニーズが分かっていない場合でもです。

GG: まさしくその理由で、マーケティングは、コレクターやバイヤーに製品を気に入ってもらう必要があるのです。そうしてもらうことで、クリエイターとマーケティングとはうまくやっていくことができます。先ほどのブルガリ・ブルガリの例はまさにこれです。初めはブルガリの人たちは気に入ってくれませんでしたが、後に今日にまで続く彼らの最大の成功となりました。あなたが愛するものを作る。そうすればそれは他の人にも愛されることができます:それこそが創造のすべてです!先程のブルガリ・ブルガリの例は正にこれなのです。

CK: そしてマーケティングの役割は?それは重要とお考えですか?

GG: もちろんです!私たちは世界で最も美しいアイデアを持っているかもしれません。しかし、それを知らせる手段がなければ、それは引き出しの底に埋もれたままになってしまいます。そしてほとんどの場合、これには莫大な資金が必要なのです。ロレックス、オーデマピゲなどが費やしてきた金額を知るべきでしょう。彼らはプロダクトに価値を吹き込む為に、莫大な投資を行います。そして多くの場合、この資金は成功に繋がらない製品に投資されるのです。

CK: 私は、いつも私たちがあなたの作品の多くを忘れがちだという印象を受けてきました。。。

GG:はい。カルティエのパシャ、コルムの有名なドルウォッチ(コインウォッチ)。。。 ご存知の通り、私がデザインしてきた時計の全てについて、はっきり覚えている訳ではありません。50年の間に、少なくとも100,000種類の時計をデザインしてきたはずです。私はオーデマピゲのために多くのモデルをデザインしましたが、そのうちいくつかは引き続き大きな成功を収めています。それらは時々微小な変更、文字盤や針にわずかな修正を加えて生産を続けています。それを一つずつ数え始めたら大変なことになってしまうでしょう。。。

CK: どのようにして、これらの時計をすべて自分自身でデザインしたのでしょう?当時、他にライバルはいなかったのでしょうか?

GG: この職業は私の前には存在しませんでした。私が発明したのです。私のインスピレーションを描きながらー 私はそれ以前の世界中のデザイナーの仕事からインスピレーションを得ました。例えば アメリカの鉄道、シェルのロゴ、ラッキーストライクのタバコのパッケージなどを手掛けた世界的なデザイナー、レイモンド・ ローウィの作品からインスピレーションを得ました。

CK: デザインしたかった時計はありますか?

GG: ロレックスのオイスターはデザインしたかった! (訳注:ロレックスのオイスターは1920年代の発明でジェンタの生まれる前です)。私にとってロレックス・オイスターは、ウォッチメイキングにおける最大の成功です。現在、ロレックス・オイスターのライバルとして、そのスタイルを革新できるような時計を見つけることは出来ません。このようなことを言っているのは私だけですね。よく「ああ、私はオイスターは好みじゃない」と言います。70年以上に渡って成功を成し遂げられる時計を生み出すことにトライする。。。それはまさしく格別なことでしょう。

CK: 同じことがレベルソにも当てはまりますか?

GG: レベルソも一つの現象とは思います。しかし私の意見では、それはそれほど重要ではありません。私にはその時計がタフで頑丈とは思えないのです。女性の手首には可愛らしくフィットすると思いますが、回転するケースの時計を身に着けることがさほど男性的だとは思えません。何かの役に立つとも思えません。

CK: オイスターを作成した人物の身元は不明のままですね。

GG: はい。70年前のことでした。個人的に私は、ロレックスのデザインを一つだけ行ったことがあります。それは今日もチェリーニのコレクションのラインナップにあります。一枚15スイスフランでデザインを作成していた頃のものです。ピアジェの時計もデザインしました。「自動巻のテレビ」というタイトルでした。クッション型で、テレビのような形のケースを採用した時計でした。

CK: 今日、ほとんどのハイエンドスポーツウォッチはロイヤルオークからインスピレーションを受けていますね。

GG: このプライスレスなスポーツウォッチは、オーデマピゲと共同開発した新しいコンセプトです。ロイヤルオークがリリースされたとき、3,750スイスフランという小売価格で販売されました。当時、最も高価なスチール時計は850スイスフランでした。全く考えられない事でした。

CK: ヴァシュロン・コンスタンタンの時計のデザインは手掛けていますか?

GG: ヴァシュロン・コンスタンタンの為にも少し働きましたが、少し困難を伴いました。というのは、私はオーデマ・ピゲに対して情熱を注いでいましたから。オーデマ・ピゲは多かれ少なかれ、ヴァシュロン・コンスタンタンの従兄弟のようなもので、これらの両方を担当するのは、あまり快適な事ではありませんでした。

CK: 時計をデザインするとき、その自由度への制約はどんなものがあるでしょうか?時計の構造上、その特定の機能からどうしても避けられないもの、例えば「12」という数字が常に文字盤の最上部に表示されなければならないなど。

GG: あなたは間違っています。私がジェラルド・ジェンタのレトログラード時計を作ったとき、それはこれまでになかったものでした。同じことは、ジェラルド・チャールズによるA・レボリューションという時計もそうです。私は時間を読む新しい方法を発明するのが大好きです。

CK: 時計製造の世界で流行トレンドの再利用について検討されていますか?例えば、フランク・ミュラーはクッション形状を再び前面に押し出し、それをブランドの特徴として確立し、他のすべてのブランドがこのトレンドを追っています。

GG: 彼はよく知られたものを上手くアップデートする知性を持っていました。フリーマーケットでもヴィンテージのクッション型の時計を見つけることは出来ますからね。しかし、彼は素晴しい才能を発揮してそれを成し遂げました。彼がしたことは本当に素晴らしかったです。しかし残念ながら、現在では少し古くなりつつあります。

CK: 素材に関して、特に気に入っているものはありますか?

GG: 私は、時計業界で初めてブロンズとスチールの合金を、ジェフィカというモデルで採用しました。これは大成功を収めました。それは大きなチャレンジでした。ウォッチメイキングの世界ではほぼ使われることの無かった素材でしたから。今日、私が自分のためにミニッツリピーターの時計を作るとするなら、チタンを使いたいですね。非常に軽く、音の伝達が可能な素材です。価値の高い時計を作成する場合、その価格は素材に依存しません。プラチナでもアルミニウムでも使用できますが、違いはありません。

CK: あなたにとってデザインとは何ですか?

GG: 私にとって、デザインは自分の個性を表現する手段です。

CK: 従わなければならないルールはありますか?

GG: 最初のルールは、古典的であること同時に、新しくもあることです。

CK: あなたはこれまでのキャリアパスに満足していますか?

GG: もし、あなたが20年前からの実績をカウントするのなら、その定義では成功していることになるでしょうし、それで満足感も得られると思います。しかし、本当に格別なことです。最終的に、今日ようやく認められたのですから。それまで議論が欠けていた分野に一つの革新をもたらした人物として。

CK: しかし、多くの場合、デザインは広くコピーされますね。

GG: 私にとっては、コピーされることは悲しいことではありません。それは励みになりますし、褒められているということでもあります。もし誰にもコピーされないとすれば、それは無能であるということです。

CK: 時計以外のオブジェクトもデザインしましたか?

GG: 私はロゴの作成に情熱を注いでいます。私は企業などのために、沢山のデザインを描いてきました。

CK: 時計メーカーやブランドとの関係は常に良好でしたか?

GG: 多くのメーカーやブランド関係者は、部外者として私を非難しました。ご存知のように、有名企業のドアを叩いて「御社への提案をお持ちしました」と言うのは非常に難しい事です。そして非常に思い上がったことでもあります。そうしたことは微妙な状況であり、あなたの才能が認められることは決してありません。パリの高級ジュエリー界のようです。有名企業は「私がこの宝石のデザインを作成しました」と宣言するようなデザイン請け負いを必要としていません。有名になるなのはクライアント、つまり時計メーカーやブランドです。オーデマピゲのロイヤルオーク他を作ったのは私だ、ということを一般大衆が知ることができるようになるまで、私はかなり辛抱強く待たなければなりませんでした。我々が自分から言うことはありませんでしたが、その後徐々に一般に知られるようになったのです。

CK: コンピューターで時計をデザインするのは、全くの別のことでしょうか?

GG: それは現代の恩恵をもたらし、それにより我々はより技術に集中することができます。私は独学です。コンピューターを使って時計をデザインする方法を私は知りません。私は常に自分の考えで動きますし、他の人が何をしているかを気にすることはありません。

CK: あなたの時計を身に着けている人々の意見に興味はありますか?

GG: ああ、それ!それは大好きです。ある熱心なイタリアのコレクターがこんな話をしてくれました。
「あなたが私のために作ってくれた時計は、いつも私と一緒です!」それはとても格別な言葉です。。

CK: 今、デザインの仕事で最大の満足をもたらすものは何ですか?

GG: 特別注文ですね。南イタリアの島の所有者から、彼の島に何日か滞在して、彼の島にインスパイアされた時計を創って欲しい、と招待された事がありました。それはとても素晴らしいものでした。

CK: 現在コラボレーションしているブランドはありますか?

GG: はい。 マティアス・ビュッテのコンフェリ・ホロルジェでは、時計の針やその他のディテールのデザインを行っています。また最近ではパテック・フィリップと3年間の契約を結びました。パテック・フィリップの仕事では特に慎重になります。古典的な形式から逸脱するものはすべて論外になってしまうのです。私は女性用のノーチラスのデザインを行いました。

CK: ハイストリートウォッチのデザインを担当したことはありますか?

GG: はい。私はタイメックスの30,000,000本も作られた時計をデザインしました。それは当然デジタルでした。しかし、ハミルトン、ブローバ、その他のアメリカのブランドとも働いています。彼らは常にスイス時計独特の「アロマ」を求めていました。

CK: 今日、あなたの情熱は絵画に注がれていますね。

GG: はい、非常に楽しい事です。毎日絵を描いています。今日も私は2つの水彩画を描きました。
たいていウォッチメイキングの世界から引き出された要素がハイライトされています。ロイヤルオーク、ネジ。。。しかし、私は隠れた人々や小さな鳥を描くのも好きです。今、私はキャンバスに鳥、ネジ、人物などを描いた油絵に取り組んでいます。仕上がりは素晴らしいはずです!。。。私の作品はいつもたくさんの色を色彩を使っています。

CK: 好きな画家はどなたでしょうか?

GG: ミロ、ダリ、ピカソ、セザンヌ、印象派の巨匠だけでなく、同じくここロンドンのロイヤルアートギャラリーで作品を展示しているアニッシュ・カプール。絵は私にとって非常に重要です。時計をデザインするようになったきっかけは絵画でした。それはまるですべての色の金属、ゴールド、スチール、ブロンズ、さらにはべっ甲の色、象牙、ブラック、そしてプレッシャス・マテリアルではないカーボンファイバーまで、パレットに並べているかのようでした。同じことがジュエリーにも当てはまります。ショパールが現在のような有名な会社になる前、文字盤の中心にハート形の非常に貴重な宝石をセットする事によって、卓越した時計を創りました。それはデザインではありません。アートそのものなのです。

CK: あなたは時計を身に着けないと聞きましたが、自身の重要なウォッチメイキングのクリエイションをコレクションしていますか?

GG: ロイヤルオークと、ワークショップからリリースされた最初のノーチラスがあります。ちなみに、シリアル番号やその手のものが何も付いていないものです。

これらはこれまでずっと金庫に仕舞いっぱなしでしたが、先述のパテック・フィリップとの3年間の契約の関係で彼らに会う時には、金庫から取り出してそのノーチラスを着用しました。また、グランソヌリのプロトタイプとジェラルド・ジェンタの自動巻のパーペチュアルカレンダーもあります。同様にジェラルド・チャールズのトゥルボもありますが、この時計を身につけるのは嫌いです。装着感があまりに悪いのです!カルティエのパシャ、IWCのインヂュニア、ヴァンクリーフ&アーペルやブレゲなどの時計を持ったことは有りません。

CK: あなたはパテックフィリップは特別とお考えのようですが、ノーチラス以外の彼らのモデルについてもう少しお話をいただけますか。

GG: パテックフィリップはパテックフィリップです!それは特別な存在です。
パテック・フィリップは数多くの理由で世界で最も権威のあるブランドです。彼らは最も保守的な人々です。というのは、彼らは全ての古典主義のルールから決して逸脱することがありませんから。彼らは、ジルベール・アルベールによってデザインされたモデルのように、時々少しエキセントリックな時計も作ってきました。

CK: エリプスについてはどうですか?

GG: パテック・フィリップは、ルブリ氏とエリプスを創りました。バーゼル・フェアの最中のある日の午前4時、時計メーカーやクリエイティブの専門家たちと歓談中に。ルブリ氏は次のように話してくれました。「ジェンタ氏がいなければ、私は決してエリプスのクリエーションのアイディアには至らなかった。」エリプスに似た時計がルブリ氏自身によってオーデマ・ピゲの為に最初にデザインされたのは事実です。でもオーデマ・ピゲは、パテック・フィリップがエリプスを創ったようにはしなかったのです。

CK: 最後にに追加することはありますか?

GG: このような場をいただき、ありがとうございました。すばらしいインタビューでした。