腕時計とそれを取りまく世界 Since Apr 2012

Author yswatch

本物ノス丶メ その 5

引き続き、偽物を購入するモチベーションについて考察を続けたい。次に考察するのは以下である。 3. 社会性: 本物なんて不当に高いだけだし、偽物をつけるのはそれに対するアンチテーゼだ。 これにも一理あるかもしれない。本物の価格が不当どうかは次回以降に考えるとして、いつの時代も社会に対して反抗するのはとくにまだ社会体制に組み込まれていない若者たちの特権だ。「本当の価値はブランド(すでに確立された体制)にはない」という意見にも一見説得力があるように見える。 だが、考えてみてほしい。当たり前だが、本物がなければ偽物も存在しない。つまり偽物は、本物に付随するサブカテゴリーではあり得るが、その対立概念にはなりえない。偽物を着用することで、「内心ではそのブランドを認めています。でも買えないので偽物をしています」という主張に見えることはあっても、それを「本当の価値はブランドにはない」という主張に見せたいというのはなかなか難しいのではないか。 どうしても「本当の価値はブランドにはない」という主張をしたいのであれば、時計の場合は、リーズナブルに入手できる本物の時計をしたほうが良いかもしれない。たとえばセイコー5やオリエントなど安価で高品質な時計は日本では至極簡単に入手できる。定期的にメンテナンスすることで何十年と使い続けることができるし、販売店も多く、ラインアップも充実しているから、自分の気に入るデザインを見つけるのも難しくないだろう。これらの時計を着用して、「本物の価値はブランドにはない」という主張をすることは十分理にかなっているし、一貫性があって説得力があるように筆者には思える。 さて、今回の時計はクロノ トウキョウ。独立時計師の浅岡氏がデザイン、監修のみではなく検品まで行っている「機械式時計の入門機」。この個体は最初期ロットの CT001Gである。    

本物ノス丶メ その 4

さて人はなぜ偽物を入手してしまうのか、次に検証するモチベーションは以下である。 2. 外観: 本物か偽物かなんてどうでもいい。自分がカッコいいと思えればそれでいい。 これはリスクにならないのだろうか。 偽物なんて分かりっこないと思っているのかもしれない。 実はこれがけっこう分かってしまうのである。趣味の人が、趣味のモノの真偽についてある程度分かるのは当然だとしても、それ以外のバッグでもアクセサリーでも分かってしまうのである。それも日本だけでなく全世界的に分かってしまう。 筆者はかつて発展著しい中国の深圳(シンセン)地方にビジネス旅行したことがある。その時に二十歳前後の若い女性がルイ・ヴィトンやグッチといった一流ブランドのバッグを持ち歩いていることに驚いた。そこで、同行した中国人の友だちに「中国ってすごい発展しているよね。あんな若い娘があんなハイブランドの物を持ち歩いているなんて!」と尋ねた。すると彼は事もなげにこう言った「ああ、あんなの全部ニセモノさ。知ってるだろ。中国は、世界中のほとんどすべてのモノを作っているんだ。ニセモノだって作れるさ。あんな若い子が本物なんて持てるわけないよ。よく見てみなよ。」そう思ってよく見ると、何かヘンなのである。そんなハイブランドの物を持ち歩いているのに、それほど大事にしている様子がない。また服装や立ち居振舞もなんだか違う。人間の情報処理能力はすごい。一部のみではなく全体を観察することで、なんだかヘンだなぁ、と分かってしまうのだ。 つまり、偽物を着用する時に引き受けなければならないリスクとして、以下が考えられそうである。  周りから見ると「あの人ニセモノつけてる」と見られる可能性はかなり高い。とくに本物を持っている人から見るとすぐに違和感に気付く。 偽物をつけていると分かったときのネガティブイメージ。少なくともそういう人から何か買おうとは思わないだろう。営業職の人には致命的かもしれない。 今回の時計はセイコークォーツQR。往年のセイコークォーツの銘機である。セイコーについては、クォーツの発明がよく喧伝される。発明はたしかに素晴しい。しかし、それと共に素晴しかったのが当時のセイコーの特許戦略である。セイコーは特許をライセンスすることで、様々なメーカーがその新技術を使えるようにした。もし、セイコーがこの戦略をとっていなかったら、果して「革命」と言えるような速度でクォーツ革命が起きていたのかどうか。歴史にifは禁物だが、その場合はおそらく機械式時計の復興というイベントも必要なかったに違いない。

本物ノス丶メ その 3

さて、人はなぜ偽物を入手してしまうのか。このことについての考察を続けたい。まずは簡単なところから取りかかろう。 1. 知らなかった。ネットで安いから買ってみたら偽物だった。 これは意外と多いのではないだろうか。筆者はもともとPC趣味だったからインターネットの黎明期からネット上の個人取引の経験がある。自己責任も注意点も十二分に分かっていると自分では思っていた。 そんな筆者でも、一度だけ偽物をネットの個人取引で購入させられそうになってしまったことがある。 ある時たまたま、当時調べていたあるブランドの時計で、これって安いな~と思う商品をオークションサイトで見つけた。そこで、出品物の画像、出品者の過去の履歴などを一通り確認し、「特に問題なし」と最高額を指定して入札した。帰宅してオークションサイトを確認すると筆者が落札していた。だが、同時になにか変だとも思った。そこで再度確認してみると明らかな偽物であった。 偽物は、販売するのも購入するのも法律違反だ。筆者としては法律違反をするわけにはいかないから取引はキャンセルせざるをえない 。しかし筆者はその偽物を一旦落札しているので、システム上は-1がついてしまう。筆者のオークション履歴にある-1がこれである。 これ以降、筆者のネット取引の自分ルールに以下の項目が追加された。 安いな~と思ったときは要注意 思い込みは目を曇らせる。普段はできるようなことができなくなる。筆者の場合、再チェックするとすぐ分かるようなことに、思い込みで目が曇っているときは気付くことができなかった。 ブランド品は、基本的には不要不急の品物である。買わなかったからといって、損することはない。 今回の時計は、ロイヤルオークジャンボ5402。六本木で行なわれていたオーデマ・ピゲのイベントで展示されていたオリジナルのA番である。

本物ノス丶メ その2

さて世の中にモノが溢れている現在、なぜわざわざ入手しにくい、しかも高価な本物を入手しなければならないのか?法律論で片付けるのは簡単だが、それではこのブログも一行で終わってしまう。そこで、まずは「なぜ人は偽物を買うのか」について考えてみたい。 偽物を購入するためには、購入する動機が必要だ。そこで、まず最初に偽物を購入する動機を考える。おそらく以下くらいではないだろうか。  知らなかった:ネットで安いから買ってみたら偽物だった。  外観: 本物か偽物かなんてどうでもいい。自分がカッコいいと思えればそれでいい。  社会性: 本物なんて不当に高いだけだし、偽物をつけるのはそれに対するアンチテーゼ。 価格および入手性: 偽物と知っていたが、本物は高くて買えないし、そもそも希少で手に入らない。 実際に偽物をつけていらっしゃる方も電車や公共の場所で散見するから、これらの何れにもそれなりの説得力があるのであろう。 そこで、これらの項目それぞれについて、それがどのようなリスクを含んでいるのか、検証を試みたい。その結果、もしも法律以外のリスクがゼロとなるのであれば、それは法律以外に人が偽物を購入する動機を規制するものは何もない、ということになるはずだ。 今回の時計は1960年代のオメガコンステレーション。時計本体はもちろん風防、ブレスレットまですべてオリジナルの逸品だ。50年以上前に作られた時計だから無理はさせられないが、それでも日差5秒程度で快調に動作している。

本物ノス丶メ その1

フリマやオークションが盛んだ。2018年度、国内トップの取扱はヤフオクで8899億円。それを猛追するメルカリが5307億円。日本の百貨店全体の売上規模がおおよそ6兆円であるから、ヤフオクとメルカリだけですでに百貨店全体の売上の1/4に相当する金額を取り扱っていることになる。ヤフオクは、2016年度の8966億円を頂点に国内首位をキープする一方で、スマホを主戦場とするメルカリは前年度に比べて40%以上も取扱高を増やしている。他方では、各地の百貨店の統廃合のニュースも喧しい。今後もこのネット主導の流れが後退することは考えにくく、時計を含む宝飾品やブランド品もネットで購入する割合が今後とも増えるであろうことは間違いない。 ところで、一消費者としてこの流れには困ることがある。百貨店を含む実店舗が減少して、本物を見る機会が減少してしまうと、購入の決断をネットのみで行わなければならなくなるのである。日本の百貨店の信頼性は非常に高く、そこで取り扱われる品物は本物で間違いないとほぼ100%信じられている。一方でネット店舗、とくに宝飾品やブランド品に関する店舗の信頼性は、もちろん真面目に商売を行っている商店もあるが、そうではないところもあり、玉石混交といってもいい。 もともとインターネットの普及する1997年(平成9年)以前から、百貨店、専門店以外の信頼性はたいして高くはなかった。当時から宝飾品やブランド品の正規の取り扱いは百貨店や専門店に独占されており、その二次流通の経路として質屋や古物商などがあった。この経路の商品は、例えば「なんでも鑑定団」を見ていても分かるが、当時からまさに玉石混交であって、本物もあればとんでもない偽物も多かった。 ただインターネットの普及以前、本人は実物を見てから購入できた。欲しいものがどうしてもあって、それを何らかの理由で「安く」購入したい場合は、実物を見てから自己責任で購入してきたのである。ところが昨今では、実物を見ずに購入するのがむしろ主流である。スマホでクリックするだけで商品を購入できるし、しかも以前からの二次流通の経路である質屋や古物商などと違い、免許もない一般消費者から購入することなどももはや当たり前となった。もともと玉石混交だった二次流通カテゴリは拡大に拡大を続けており、それに伴い一般人が偽物に触れる機会も格段に多くなっていると考えてまず間違いないであろう。 そこで、ちょっとした誰にもできる注意点などを書いていきたいと思う。 今回の時計はセイコーブライツ。セイコーの正規店にて購入したデットストックである。

The fact of OMEGA Holy Grail…

デイ・デイト付き自動巻スピードマスター。いわゆる竪琴ラグのプロフェッショナルケースに、ムーブメントとしてオメガ1045を搭載した唯一のモデルである。オメガ1045は、後年のレマニア5100であり、ムーブメントの初出はl973年(昭和48年)とされている。 いまから50年前の1969年(昭和44年)にセイコー社が世界初のクオーツ腕時計を発表、昭和40年代後半のこの頃、すでにクオーツ時計が世の中を席巻しつつあった。しかし、スイスの各時計メーカーは、自動巻クロノグラフのマーケットを諦めてはいなかった。タグホイヤー、ブライトリングらが1969年に最初の自動巻クロノグラフをリリースしているし、ゼニスもエルプリメロを1969年に発表している。オメガも1971年(昭和46年)には初の自動巻クロノグラフ1040を搭載したスピードマスタープロフェッショナル MK III、次いで1973年には Mark IV をリリースする。 本モデルに搭載されたムーブメント、オメガ1045は1973年初出とされる。かのAlbert Piguet 氏らによって、オメガ向けにリリースされた自動巻クロノグラフの意欲作である。デイ・デイト表示に加え、24時間計表示、タフな耐ショック性などを備えていた。このタフさはツールウォッチメーカーに高い評価を得、後年、Sinn、Fortis、Tutimaなどが軍事用、航空宇宙用のモデルにこのレマニア5100(オメガ 1045)を採用することとなる。 時を同じくして1973年には自動巻クロノグラフのベストセラー、Valjoux 7750 がリリースされている。ところがこのValjoux7750は、そのわずか二年後、1975年には生産中止となってしまう。理由はクオーツの普及である。オメガも、1970年後半のスピードマスターの新製品は音叉やクオーツに移行してしまうことになる。 この10年(おおよそ1975-1985,昭和50年ー昭和60年ごろ) は機械式時計にとって冬の時代であった。しかし、1980年代(昭和55年~)の初頭になってくると機械式時計の復興の機運が盛り上がってくる。Vajoux 7750の再生産が開始され、1984年(昭和59年)には新生ブライトリングからアーネスト・シュナイダーによるクロノマットがリリースされる。また、ゼニスからエル・プリメロの再リリースがアナウンスされたのも1984年である。オメガも1985年(昭和60年)、10年ぶりに再び自動巻のスピードマスター MarkV をリリースする。 それに続く自動巻のスピードマスター、本モデルのリリースは1987年(昭和62年)である。1988年には、普及機である自動巻スピードマスター・リディースドの発表によって生産中止になっているから、このモデルの生産年数は、1987-1988年のわずか二年である。そして、オメガにとってはこのモデルが最後のオメガ1045の搭載モデルとなった。 その生産本数の少なさから、また当時この自動巻クロノグラフは多くドイツ/EUマーケット向けに出荷されたこともあり、とくに日米では極端に数が少なく幻とさえ言われることもあるモデルでもある。著名なオメガ.コレクターであった Chuck Maddox氏(故人。シカゴ在住であった)もそのあまりのレアさ故に「Holy Grail」とニックネームをつけたほどであり、日本でときにホーリーグレイル、聖杯モデルと呼ばれる由来はここからきている。 リファレンス 376.0822 製造年 1987-1988 キャリバー オメガ1045 総生産数 ~1800  

CHRONO TOKYO – 高級時計の条件 その2

現代では、機械式腕時計で時間を知る必要はそれほどない。腕に装着している機械式時計を見るとき、時間を知りたいというよりも、そこに存在しているデバイスを視て、数秒感の満足感を得たい、そういう思いのほうが強い場合があるのではないか。そして、そうしたオーナーの想いがあるとするのなら、機械式時計というデバイスは、その思いに応えることを要求されているのではないか。 ところで、この「オーナーに満足感を与える」という高級時計の条件の一つは、そうハードルが高いものではない。視認性の良し悪しはもちろんのこと、価格すら無関係である。単にオーナーのお気に入りの時計でありさえすればよい。 その一方で設計者として、不特定多数の人向けの量産時計で「お気に入りの時計」となるべき高級時計を設計するとなると、その難易度は極端に跳ね上がる。お気に入りの条件は千差万別(ミリタリー好きの方もいれば、クロノグラフ好きの人もいるし、ドレス時計が好きな人もいるでしょう。それに大きさの好みもいろいろありますよね)であることに加えて、そもそも自分のお気に入りを分かっていない人も多い。「これってかっこいい」とパネライを手に取っていうのは簡単だが、私の思う「かっこいい」時計はこうです、とパネライをデザインできる人は限られるはずだ。 浅岡氏は設計にあたって、CHRONO TOKYOのこの難易度をどうクリアしたのだろうか。 あくまで筆者の私見だが、浅岡氏のデザインコンセプトはこうではなかったか。 「自分が一、二秒間その時計を視つめて、それで満足感を覚えられる時計」 一瞬で時間が分かるということは、時計にとって善し悪しがある。視認性がいい時計の場合、すぐに目を切ることができるため、いかに炯眼の持ち主でもその時計のアラが分かりにくくなる。時間は確実に分かるが、時間を知るためには時計を視なければならない時計にする。そして二秒という時間、自分の視線に耐えうる時計を量産時計の価格帯で設計する。 そうであればこその専用文字盤、専用針、専用のケース、新規の革ストラップおよび尾錠ということになったのではないか。 二秒間という時間はけっこう長い。その長い間浅岡氏に視つめられて満足感を得られる、そんな時計が、機械式腕時計好きのある一定の層に受け入れられるのは当然であろう。 この時計が私のお気に入りの時計になるのはどうやら必然であったようである。

CHRONO TOKYO – 高級時計の条件

この時計は、腕に載せるデバイスに、「時間を知る」以上のことを求める人のための時計である。 一週間ほどCHRONO TOKYOと過した。これほどの時計であるから、もちろん満足度は高い。一方で写真撮影が難しいことに驚いた。このCHRONO TOKYOは、素晴らしい光沢文字盤に、これもまた光を反射する大きな針を持つ。屋内だとまあ大丈夫だが、屋外で写真を撮ると、あらゆる光を反射して写り込む。 次に、意外と視認性が良くはないことに驚いた。筆者の個体はグレー文字盤ということもあり、昼はともかく、夜の視認性は良いとはいえない。 だが、試行錯誤を繰り返した結果、CHRONO TOKYOでの視認性の確保のやり方がだんだんと分かってきた。つまり、CHRONO TOKYO で時間を見ようとしてはいけない。CHRONO TOKYOで時間を見るためには、1. まず腕時計を視る。そして、2. 針が光を反射する方向を探して腕を傾ける。この二動作がベストである。この二動作を行うことで、夜でも視認性を確保できる。CHRONO TOKYOの光沢文字盤と針とが、些かな光さえあればそれをきちんと捉えてくれるのだ。 一方で、この二動作を行うために、1ないし2秒は必要である。そのため、CHRONO TOKYOは、一瞬で時間を判別する用途にはたいして向いてはいない。切羽つまった電車の乗り換え時などにCHRONO TOKYOを視ている余裕はおそらくない。 これは一体どういうことなのだろうか。 腕時計であれば、見た瞬間に時間が分かってほしいものではないだろうか。特にミリタリー系のツールウォッチは視認性に非常にこだわる。例えばあれだけ文字盤が煩雑なブライトリングのナビタイマーでさえ、良好な視認性が確保されている。ところで、CHRONO TOKYOは、時間を知るために、常に時計を視ることを要求するデバイスなのである。 これが設計者、デザイナーである浅岡氏の意図であることは間違いないだろう。そして、それこそが、浅岡氏の考える「高級時計の条件」の一つなのではないか。 この「高級時計の条件」についてもう少し考えたいと思う。 追記 1st Mar 2020:  現在のリビジョンの Chrono Tokyo では反射を抑える方向で改善されている。ラグなどの造型もこの最初期のものとは若干違い、常に変更が加えられつづけている。

CHRONO TOKYO

「こだわり」にもいろいろある。 例えば評価の高い独立時計師がこだわって作る時計の場合、ほぼ好きなように値段をつけられるから、コストの制約はあまりない。こだわり放題である。パッケージや革ストラップなどは、時計本体の値段に比べればおまけのようなものであるから、選択の自由度は高い。豪華な化粧箱も作ることができるし、ストラップにクロコダイルを使おうが、ガルーシャを使おうが自由である。あらゆることにほぼ好きなようにこだわることができる。 一方で、税込20万円の時計で「こだわる」場合にはそうはいかない。時計本体のコストに制約が出てくるのはもちろんのこと、革ストラップ、パッケージのコストも馬鹿には出来ない。コスト制約のなかでの優先度をつけた「こだわり」である。今回はその制約の中での「こだわり」を見ていきたい。 まず開梱である。内部の梱包は最小限にしてあるが、そこで時計の化粧箱が第一のこだわりポイントである。大きさは最低限の、ちょうど60~70年代の時計の箱のサイズのようである。この化粧箱を開けようとすると気付くのが、内箱と外箱のクリアランスである。きっちりと内箱と外箱とがかみあう大きさに仕上げてある。 次はストラップである。革ストラップは、市販品で3000円くらいからでも入手できる。時計本体に「こだわる」のであれば、ストラップというのは交換可能なパーツでもあるし、ある程度はクオリティを犠牲にしてもよいパーツではないかと一瞬考えてしまう。しかし、この時計の場合は違う。豪華なものではないが、十分にしなやかでつけ心地も良い。色も文字盤にあわせてマッチした色の選択である。腕時計は、時計本体だけでは時計としての機能を果たせない。革ストラップも含めて時計の一部であると主張しているようである。そのサイズは、クラシックをリスペクトしたかのような 20-16であり、この時計にあつらえたかのようにすごく似合っている。裏にはGENUINE LEATHERと素気なく書かれているだけであり、いかにも市販品のような体裁だが、これも浅岡氏のデザイン、または監修のはずである。 尾錠も見逃せない。筆者が最初にパッケージを開けて驚いたのはこの尾錠であった。こういう形状の尾錠を筆者はあまり見たことがない。筆者の所持時計の中では、オーデマ・ピゲのヴィンテージ尾錠に似ている。現代の時計でいえばブライトリングの尾錠に似ているが、ブライトリングほど止め金の幅を広くとっているわけでもない。刻印も何もないが、まるでCHRONO TOKYOの時計本体とストラップ専用に作ったかのように大変よく似合っている尾錠である。 いよいよ時計本体である。 まず気付くのがその文字盤の素晴しさである。最近ではなかなか見ないボンベダイヤルで中央が盛り上ったデザインになっている。グレーということになっているが、光の反射で様々に色が変わる。針もオリジナルのデザインであり、この時計が高精度であるということを誇示するようにきちんとインデックスに届く長さである。しかもその上先端の曲げ処理まで施してある。そして、この文字盤と針を保護するのはボックスサファイヤである。まさしく往年の高級時計の浅岡氏流のモダンな解釈とでもいえようか。 最後に、ムーブメントおよび文字盤を保護するケースである。これもまたこだわりのケースである。サイドからラグへと流れる曲面は、なんとも言いあらわせない三次元の曲面で構成される。サイドの曲面がすっきりラグに収斂する様は往年のカラトラバやオーデマピゲのVZSSのような形状を彷彿させつつも、それとは違うモダンなデザインになっている。側面から見るとこれがよく分かるかもしれない。上が オーデマ・ピゲのVZSS、下が CHRONO TOKYO である。 さて、このようなこだわり抜いた時計が税込20万円で手に入る(注: 10/12現在.入手できない。最初の限定発売分は、発売開始わずか2日で受付停止であった。現在、追加生産を検討中とのことである)。デザイナーが、デザインだけでなく、量産工程の部品の監修、プロデュースを手掛けることで、ここまでのクオリティ、ポテンシャルを引き出すことができる。誰もができることではないが、モノヅクリをしている人たちは、自分の潜在能力に気付き、自身のこだわりによりフォーカスすることで、社会全体のポテンシャルを高めることができる。浅岡氏がこの時計で証明したかったことの一つはそういうことであったのかもしれない。

フィリップス オークション

先立ってニューヨークにて行われたフィリップス オークションについて書かないわけにはいかないだろう。 ポールニューマン使用の正真正銘の本物のデイトナがおおよそ17億円で落札されたのはあちこちのニュースで喧伝されている。この落札によって、この固体は過去落札された時計の中で一番高額な時計となった。落札者はこれに落札手数料を加えておおよそ20億円を支払うこととなる。 今回のフィリップスオークションでは他にも様々な時計が高額落札された。落札手数料を含む落札金額合計は、おおよそ33億円である。極上の固体ばかりを集めてあったが、それにしても49個の時計の一回のオークションの売上総額33億円というのはすごい。落札手数料だけでも5億円に上ると想定される。 これは是非とも分析せざるを得ないではないか。 まずオークションのEstimate(予想額)が適正だったかどうかについて検討しよう。予想額が適正かどうかはそのオークションハウスのクオリティを測る一つの重要な指標である。予想と結果とにそれほど違いがないオークションハウスのほうが、時価を適正に評価して出品できる、クオリティの高いオークションハウスということになる。オークションハウスの収益源は落札手数料であるから、低く見積って入札者を多くして落札を確実にすることで確実に収益を得ることができる。落札者にとっても比較的廉価で落札できて魅力的だ。一方でそのようなオークションハウスの場合、出品者としては出品の魅力が低くなる。結果的に魅力のあるオークションピースを集められる可能性は減ってしまう。 今回は、落札された時計の予想額の下限と上限の値から平均値をとり、その平均値からの上昇率、下降率をヒストグラムにして分析を試みた。ポールニューマンのデイトナはそもそもの落札予想額がおおよそ1億円以上(“in excess of $1,000,000,”)とかなり曖昧であるため除いた。また他に1個は取り下げられているため、分析の対象は48個である。なお、オークション終了後の発表落札額は落札手数料を含んでいる。そこでここでは手数料を一律、落札額の15%と仮定して落札額(ハンマープライス)を算出し、予想平均額との比較を行った。 この結果、予想上限以下で落札になった時計は31個であり、予想上限を超えた時計は17個であった。実に1/3の時計が予想上限額を超えて落札されていることになる。この数字だけを見ると予想額が低めに見えるが、予想平均額との差分を分析してみると、36個、75%の数の時計が予想平均額から±50%の範囲に収まっていることが分かった。また、この範囲では予想平均額を中心にバランスよく分布している。おおむね、それなりに確度の高い予想落札額であったと言えそうである。 では、次にオークションハウスの予想が外れた時計を分析しよう。下限額を下回るとそもそも落札されないから、予想が外れるということは予想を超えて高額落札された時計ということになる。ここでは、平均予想額から上昇率が100%以上の時計、つまり予想平均額の倍以上で落札された時計をリストにした。落札額は、落札手数料を含む金額を115円のレートで円換算したものである。 いかがだろうか。これが今回のフィリップス オークションの予想外Top 7である。評価が高まっているフィリップデュフォー氏のデュアリティが1億円を超えるのはともかく、スピードマスターアラスカIIIもすごい。たしかに市販されていないレアモデルであるが1978年のモデルであり、それが2000万円を超える価格で落札されている。他にも、状態がよくて箱、保証書が揃っていてもホイヤーモナコやロレックス1016が400万円以上である。箱、保証書付のアクアタイマーも300万円を超えている。 時代の動きは速い。時計業界も美術品業界と変わらないような高額品を扱うようになるのも時間の問題かもしれない。趣味のコレクターにとってはますます冬の時代の訪れを告げるオークションであったように思えてならない。

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