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Category ジェンタ特許を読む

ジェンタ特許を読む その8

閑話休題。ここまでをまとめると、ジェンタはこの特許に関して、以下のことを特許の目的として主張していることが分かる。 既存の時計の防水の不十分さ、主として裏蓋とガラス部分のパッキンに頼る防水についての改善 新しい美的外観 簡単な組立てができる構造 まず、1.についてだが、この特許は1971年の12月に出願されているから、ここでいう既存の時計というのは1960年代の時計の構造を指していると考えるのが妥当だろう。当時すでに、スクリューバックの裏蓋は存在していたが、風防としてサファイヤはまだ一般的でなく、風防にはガラスまたはプラスチックが使われていた。そして、風防部分と裏蓋部分との防水を細い円環状のパッキンに頼っていた。ジェンタはそれを指摘していると考えられる。 その1960年代、ジェンタは、オメガでいくつものデザインを担当していた。その最初期の作品の一つが1962年、オメガ・コンステレーションのCラインケースとされている。当時は時計のデザイナーはケース、ダイヤル、ブレスレットなど、それぞれの部品を別々に担当しており、また、それぞれのデザイナーの仕事が名前に残るような時代でもなかった。当時は一デザインに付き15フラン程度しか受け取っていなかったと、ジェンタ夫人は回想している。 ジェンタは、オメガとのこのような仕事を通じて、より大きな仕事にチャレンジするようになり、ロイヤルオークのデザインで名を知られるようになるが、それはずっと後の話である。いまでこそ、パテック・フィリップのノーチラスおよびIWCのインヂュニア・ジャンボのデザインは、ジェンタの作品として有名だが、当初はそれを公表することはできなかったと生前のジェンタは語っている。 写真は壮年のころのジェンタ夫妻である。

ジェンタ特許を読む その7

ジェンタのロイヤルオークケースの特許、どんどん読んでいこう。 ロイヤルオークは、ラグジュアリースポーツの始祖とされている。ロイヤルオークのデビューは1972年。よく知られている通り、金無垢の時計よりも高い(ラグジュアリーな)ステンレススティール製の時計であった。ここでジェンタは、それまで金無垢の腕時計しか作っていなかったスイスの高級時計メーカーが新機軸として打ち出すに相応しい、防水でかつラグジュアリーな時計を産みだそうとしていた。 次の段落には、ジェンタが、既存の特許の問題点をどう克服しようとしたのか、概略が再度語られる。 この防水時計ケースは、以下によって特徴づけられる:複数のネジ、それらのネジの頭は、ベゼルに埋め込まれるようになっており、内部に用意されているそのネジ用の受け穴に固定される。この受け穴は、ネジを効果的な角度に固定できるようにする。それぞれのネジとネジ受けとは、防水パッキン中に埋めこまれて貫通しており、ガラスとベゼルとケースとベゼル、ケースとムーブメント支持用のフレームとの間の防水性を保証している。 ジェンタは、薄い円環状のパッキンを直接圧縮することによって防水性を確保するシステムを不可とし、ムーブメント全体を覆うぶ厚い防水パッキンをケース裏蓋とベゼルとをケースを貫通するネジで固定するシステムを提案していることになる。 実は、ロイヤルオークの最初のこの特許では、受け穴は、ネジをきちんと固定するための角度を保つための受け穴として用意されており、ベゼル側のネジ頭の角度を調整できることに言及はない。特許の図ではベゼルの上のネジの角度は一定していない。

ジェンタ特許を読む その6

ジェラルド・ジェンタによるロイヤルオークに関する時計ケースの特許、この特許の本文の訳出をつづけよう。 このようなタイプの防水ケースは、いくつか知られている。しかしながら、よく知られている構造では、その裏蓋ケースが、薄い円環状のパッキンを直接圧縮するようになっている。これらの構造の欠点は、外部のジョイント部分、特にベゼルと裏蓋ケースの部分とが水に浸されるような状況では、長い時間の間にそれらの部品が酸化されるかもしれない、という点にある。 ここでジェンタは、既存の特許の問題点を指摘する。ジェンタの問題意識としてはジョイント部分にパッキンを挟み、それを直接圧縮するような構造では、長く水に浸されているような状況ではジョイント部分が錆びてしまう可能性があるではないか、という。 この発明による時計ケースの主たる目的は、ウォッチケースのすべての部品について完全な防水性を保証することである。その他に、新しい美的外観であること、また、アセンブリが容易であることを目的としている。 さてジェンタはどのようにこの目的を達成したのだろうか。

ジェンタ特許を読む その5

さて、ジェンタのロイヤルオークに関する特許を読むの第5回であった。 この特許は請求項が一つと三つの図とでなっている、とてもシンプルな特許である。 請求項とは、発明した技術に関して、「私はこの技術に関して、この部分に新規性があると考える、その部分について法律による保護を請求する」というその核心となる部分である。近年の複雑な特許では請求項が10以上にも渡ることがあるから、ジェンタのこの特許はごくシンプルは特許であるといえるかと思う。 順に訳出してみよう。 この発明は、ウォッチケースに関するものである。これは、この発明における目的である。防水ケースであり、とりわけシンプルでかつ合理的な構成であり、美的外観を伴うものである。 この防水ケースは、ガラスを含むベゼルとネジで結合したケース背面を持つ。また防水パッキンが、ベゼル、ガラスとケース背面との間に配置され、そしてムーブメントを支持するフレームを持つ。 ジェンタは、防水 (fruid-tight) ケースであることを何より意識しており、かつそれがシンプルな構成であり、独特の美観を持つことを目指していたことがこの部分から理解できる。

ジェンタ特許を読む その4

さて、本題に戻ろう。 まずこの特許は時計のケースに関する特許である。ムーブメントはあまりにも有名なジャガールクルト製の921であり、これに関する新規性はない。ジェンタはデザイナーであり、ムーブメントを設計することはなかった。 では何に新規性があったのか、ジェンタはこのケースの特許として以下のように概略を記述している。 防水時計ケース、それは、ケースとベゼル、風防ガラスとをネジによって結合したものです。防水パッキンは、ケースとベゼル、風防ガラス、そして時計のムーブメントを支持するフレームとの間に設置されます。 ネジの頭はベゼルに埋めこまれるようになっています。それらのネジは、内部に用意されているそのネジ用の受け穴に固定されます。ネジの受け穴は、ネジを効果的な角度に固定できるようにします。 それぞれのネジとネジ受けとは、防水パッキン中に埋めこまれて貫通しており、ガラスとベゼル、ケースとベゼル、ケースとムーブメントとの支持用のフレームとの間の防水性を保証しています。   特許の Abstract、概略には、この特許で一番重要な点が書かれていることが常である、まず読みとれるのは、この特許は、防水ケースに関する新規のアイディアを含んでいるということである。 どうやらジェンタはその新しい防水ケースの実現にあたって、ケースとベゼル、風防ガラス、ムーブメントを支えるフレームとをパッキンで包みこみ、そのパッキンを、パッキンを貫通するネジによって締めつけるという構造を提案しているようである。以下の図でネジが 11、ネジ穴が10、パッキンが8である。パッキンは、ムーブメントを覆うように全面に位置しているのが分かる。

ジェンタ特許を読む その3

閑話休題。 1972年という、時代背景を考えておきたい。 1972年は、西暦でいうと何だか格好いいが日本でいうと昭和47年である。昭和44年7月、アポロ11号が月に着陸。12月、セイコーが世界初のクオーツ腕時計を発表。昭和46年、戦後のいわゆるいざなぎ景気が終わり、昭和47年にはNHKのカラーTV契約数が白黒TVを上回っている。その頃の話である。 この頃、時計業界ではいわゆるクォーツ革命の影響が見えはじめていたとされている。ただし、まだそれは誰の目にも明らかといえるほどのものではなかったであろう。 昭和44年当時、セイコーは、クオーツ・アストロンを世界にさきがけて発表した。それはたしかに素晴しい栄誉ではあった。だがアストロンという製品自体は、その量産によって直ちに利益を得られる製品では到底なかった。昭和46年に量産が開始された38クォーツによって、ようやくセイコーは先行者利益を得られるようになってきたものの、それでも当初のクォーツ時計のシェアは微々たるものであった。クォーツの発表から5年後の昭和49年(1974年)でさえ3%程度であり、その生産数は電磁テンプ、音叉式などの他の電池駆動方式と同程度のものでしかなかった。(参考: 日本の時計産業概史 ) 翻ってスイス時計産業は、同じ昭和49年(1974年)に当時の出荷額のピークを記録している。音叉式や電磁テンプ方式などが60年代から存在しており、電池駆動の時計自体はさほど珍しいものでもなかったし、スイス時計産業もその威信をかけてクォーツ腕時計の開発を行っていた。 そうした時代の中で、オーデマピゲは、1971年に、金無垢の時計よりも高価なステンレススチール製の機械式時計の計画を着々と進めていたということになる。(画像はウェブクロノス ジェラルド・ジェンタの全仕事 より引用)。

ジェンタ特許を読む その2

次に分かるのは、本特許は最初に1971年12月6日にスイスで出願されているということである。これが「優先日」であり、「どちらが先に発明したか」という議論になったときにこの日付が議論のベースとなる。その後アメリカ出願が1972年10月30日、アメリカで審議され、公開されたのが1973年9月4日ということになる。 この日付はけっこう重大である。特許をとるには発明をしなくてはならず、発明にはそれが発明と認められるための要件がある。いわく、 1.自然法則を利用していること 2.技術的思想であること 3.創作であること 4.高度であること 参考(特許法第2条) いくらアイデアが良くても「こんなんあったらええのにな」だけでは発明とはいえない。発明であるためには、そのアイデアが技術的に検証され「動く」こと、その仕組みが分かれば誰でも作ることができる創作でなければならない。また特許には、出願するにも維持するのにも費用がかかる。オーデマピゲといえども、この新規アイディアを検証せずに特許出願することは考えにくい。 ということは、この1971年12月までにはこの特許のコンセプトは試作を終え、所望の機能を充たす技術的検証がほぼ完了していたであろうということになる。これはロイヤルオークの発表のわずか4ヵ月前のことである。スイスのバーゼルにてロイヤルオークが発表されたのは、1972年4月15日のことであった。

ジェンタ特許を読む その1

今回から、ジェラルド・ジェンタのロイヤルオークの特許について読みこんでみる。USPTO(米国特許商標庁)の ウェブページ から検索することで原文にあたることができますし、内容についての概略は以前にも書いていますので、お急ぎの方は、以下からどうぞ。 機械式時計のどこがいいのか その22 まずは、特許の基本情報である。 米国公開番号:3,756,017 米国公開日:1973年9月4日 特許名称: ウォッチケース 発明者: ジェラルド・ジェンタ (ジュネーブ、スイス) 権利者: オーデマピゲ S.A. 出願番号: 301,738 出願日: 1972年10月30日 優先権主張番号:17724/71 優先日: 1971年12月6日 優先権主張国: スイス これらのことから、まずこの特許は、いわゆる職務発明の形態であることが分かる。発明者はジェラルド・ジェンタだが、その発明の権利者はオーデマピゲS.A.である。権利者は、発明の権利の一切を保持し、かつ特許の登録に必要な弁理士の費用や出願費用などの一切を支出する。つまりこの発明を侵害すると、オーデマピゲから訴えられる可能性があるということになる。 ただし特許には期限がある。アメリカ特許法の期限は原則20年である。 特許法の理念は、発明の奨励によって産業の発達に寄与するという点にある。発明したとたんに模倣品が出て来てしまえば、発明者のモチベーションは落ちる。発明のために必要とした膨大な費用を回収できなくなってしまうし、発明すればするだけ損ということにもなりかねない。かといって、一回発明したものに対して永続的に権利をずっと保護してしまえば、類似品を未来永劫作れなくなってしまうことにもなり、産業の発展の阻害要因にもなってしまう。そこで特許法としては、産業の発展を阻害しない範囲で十分な保護を権利者に行うという観点から保護の範囲が定められ、各国の特許には期限が設定されている。 この特許は1973年の公開だから 1993年にはおそらく特許は切れている。 ということで、今現在ロイヤルオークに似たような形状の時計が出てきてもそうそう目くじらをたてる必要はないということをまずは付記しておきたい。  

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