Last updated on September 3rd, 2021最初に自動巻クロノグラフを作ったのはどこか、番外編です。 セイコー6139スピードタイマーの発表当時のカタログを添付します。セイコーの広報部からスキャンしていただきました。 5月下旬に発売します、というカタログの文面から少なくとも69年5月以前のアナウンス用の資料だと分かります。 日付、曜日を備えたストップウォッチ機構付き自動巻き時計の量産は世界初と謳っています。その通りですね。興味深いのはここでストップウォッチという言葉を使っているということです。スイスではクロノグラフという言葉を使っています。 価格はメタルバンド付きで16,000円と18,000円。 タキメーターについて、平均時速の計測や、仕事の単位時間を計測することができ、企業の工程管理にも使える「テクニカル・ウォッチ」という位置付け。 興味深いのは、やはり「自動巻時計+ストップウォッチ機能」というマーケティング用の位置付けでしょうか。これでは一般に対する訴求力としてはあまり強くはなさそうです。日常でストップウォッチってそんなに使わないですよね。企業の工程管理に使うような用途であれば、専用のストップウォッチで計測するでしょうし、ストップウォッチ機能付き時計と言われても、あまり欲しいと思えません。1969年当時のセイコーがマーケティングに苦心していた様子が伺われます。 ところでスイスでは、これはすでに解決済みの問題でした。例えばブライトリングは、「クロノグラフがこんなに便利なのに売れないのはなぜか」というマーケティングの苦心にすでに第二次大戦後の40年代後半から直面しており、50年代にはアメリカで大キャンペーンを行っています。1960年後半のこの当時は、クロノグラフは、ストップウォッチとは別のカテゴリーですでにマーケットを確立していました。時計としての機能はきちんと保ちながら、いつでも必要な時に経過時間を計測することができるといういわばツールウォッチというカテゴリです。 アポロ13号の自動制御装置が故障し、ジェットの噴出時間の手動計測が必須になったときに、計測ツールとして使うことができるのはオメガのスピードマスターだけだったというのはあまりにも有名なエピソードです。一般人の生活にアポロ13号のトラブルほど緊急の事態が起きることはほとんどないでしょうが、いつでも必要なときに身につけているもので時間を計測できるというのは、やはり便利な道具といってよいような気がします。 SEIKO_5_SPORTS_SPEED_TIMER_release
Last updated on September 3rd, 2021 1969年(昭和44年)というは実にエポックメイキング年であった。アメリカのアポロ11号が月に着陸し、時計業界では、セイコーが世界初のクオーツ腕時計を発表した。一方で、同時期にこれも世界で最初の自動巻きクロノグラフを発表した3つのグループがあったことはあまり知られていない。その3つのグループとは以下であった。 ゼニスーモバード ホイヤー、ブライトリング、ビューレン、デュボアデブラのグループ セイコー これらの3つのグループは相前後して革新的な自動巻きクロノグラフを発表する。今となってみると、何がそんなに難しかったのかよく分からないことも多いが、いったい、何がそんなに当時は難しかったのか。 当時の設計手法 紙と鉛筆で設計して、組み上げてみて動かないときは修正する、コンピュータ支援設計システムがない当時、200~300の部品すべてについてこの作業を行う必要がある。 当時の量産技術 大量生産の技術はまだ現在ほど確立されていなかった。精度も現在ほどではなく、組み上げた後に調整しなければならない箇所も多かった。 開発費用 ホイヤー=ブライトリンググループは、当時で50万スイスフランと4年の月日を費やしたとされている。中小企業の開発としては、会社の死命を制する開発規模であった。 技術的な難易度の高さ。 クロノグラフは、時計の機能の他にいわゆるストップウォッチの機能を持つ時計である。限られた腕時計の体積に、時計のメイン機能、クロノグラフ機構と自動巻き機構を詰め込む必要があった。 今回から数回で自動巻きクロノグラフの黎明期を見ていきたいと思います。
日本でセイコーが1969年5月に発売を開始した自動巻クロノグラフ、スピードタイマー。ただ、世界的に発表が速かったのは、ブライトリングーホイヤーでした。セイコーが1969年3月、発売に向けて量産を進めている中、クロノマティック(キャリバー11)をジュネーブとニューヨークで発表、通説ではこれが世界最初の自動巻きクロノグラフであったとされています。 実はこの話に後日談があります。 1969年の3月、世界初の自動巻クロノグラフが発表されたその日、まさにその日が、世界で一番最初の自動巻クロノグラフが修理返品された日だった、というのです。ニューヨークで発表後、クジを引き当てた幸運なコレクターが、喜んで世界初の自動巻クロノグラフを持ち帰ったその日の夕方、クロノグラフの不具合で当時のアメリカでトップ代理店に修理を依頼、代理店の人も、初めて見る自動巻クロノグラフ、特に左リューズの構造にはかなりのショックを受けたといいます。 この話から、二つのことが分かります。 ブライトリングーホイヤーはキャリバー11をある程度の数を生産していた。少なくともニューヨーク、ジュネーブで同時発表した時に、クジを引き当てた幸運な人々にデリバリーできる程度には。 当時の新設計、キャリバー11のクオリティには、早急な改善が必要とされていた。 これを、まだ量産のクオリティに達していないものを発表したと捉えるのか、ある程度の品質に達していたからこそ、続く1969年4月のバーゼルフェアでもホイヤー、ブライトリング、ハミルトンから多種多様なモデルを発表できた、と考えるのか。いずれにせよ、莫大な投資をして、社運を賭けたプロジェクトを遂行している時に、こういう大々的なマーケティングイベントを開催できるというのは、当時の欧米メーカーがいかに強かったかということを表しているとも思えます。 画像は、当時のキャリバー11の設計図です。不具合は、クロノグラフ機構のオペレーティングレバー8140にあったそうです。
最初に自動巻クロノグラフをリリースしたのは、どこのメーカーだったのか、まとめです。 ゼニス/エルプリメロ…ゼニスのウェブでは、「完全一体型のコラムホイール式自動巻クロノグラフ・ムーブメントを開発した最初の時計メーカー」と主張しています。どうもライバル のホイヤーーブライトリング(カム式、モジュール型クロノグラフ)に対して「難しいことをきちんとやったから時間がかかったんだ」という負けた怨念が垣間みえるようです。たしかにエルプリメロの完成度は高く、現在まで通用する基本設計がなされていました。 ホイヤーブライトリング/キャリバー11…ホイヤーのウェブでは、初の自動巻クロノグラフムーブメントを開発、発表となっています。ブライトリングのウェブでは、共同で自動巻クロノグラフを開発した、となっています。どちらかも余裕のコメントですね。やはり時計は量産できてはじめて製品といえるのでしょうから、世界で一番早く自動巻クロノグラフを製品化した、またそれを分かるようにきちんと発表もしているという自信があふれているように見えます。キャリバー11自体は、マイクロローターの巻上効率が悪く、すぐにキャリバー12へと更新されていますが、このモジュール構成は後のムーブメントに大きな影響を与えました。現在、同様のモジュール構成をとった自動巻クロノグラフムーブメントとしては、有名なバルジュー(ETA) 7750があります。 セイコー…発表はホイヤー-ブライトリングに遅れること二ヶ月の5月です。しかしながらホイヤーープライトリングのキャリバー11の量産が夏であることを考えると、ほぼ間違いなく量産を開始したのは一番早いです。69年3月という量産初期のシリアルの時計がけっこうウェブで見つかります。クロノグラフのピラーホイール制御、世界初の垂直クラッチの採用と設計にも見るべきポイントがあります。この垂直クラッチは近年のクロノグラフムーブメントに大きな影響を与えています。有名なところでは、ロレックスのデイトナ4130にも採用されています。 1969年1月10日 ゼニスがエルプリメロの試作品をスイスの特定のプレス向けに発表 1969年3月 セイコーがセイコースポーツファイブ6139を量産開始 1969年3月3日 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11を大々的に発表(スイス、ニューヨーク) 1969年4月 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11をバーゼルで発表 1969年5月 セイコーがセイコースポーツファイブ6139を発売 1969年夏 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11をデリバリー開始 1969年10月 ゼニスがエルプリメロをデリバリー開始 この稿、これで終わります。
ジャック・ホイヤーは回想しています。 1969年春のバーゼルにセイコーの「社長」だった服部一郎がきて、「最初の自動巻クロノグラフ開発の成功、おめでとう」と声をかけてくれたんだ。もちろんセイコーのクロノグラフについて何も言ってなかったよ。しかし、セイコーの社長が我々の成功を認めて声をかけてくれたということは、我々がやりとげたことに対するいろんな賞賛の中でも、かなり重要な意味を持つ賛辞だったと思えるかなぁ。 どうも煮え切らないコメントです。ジャック・ホイヤーはセイコーの「社長」がいさぎよく自分たちの負けを認めてエールを送ってくれたと理解したいみたいです。ただ、3月にもう量産してたんだったら、なんで負けを認めたんだ、という釈然としないものも感じているところが、このコメントからは汲みとれます。ゼニスに関しては一刀両断、「バーゼルで我々のほうが数ヶ月進んでいることはもう確信できた」です。この落差はどこから来ているのでしょう? ここでどうもセイコーのお家の事情が顔を出しそうです。服部一郎は当時は第二精工舎の社長でした。諏訪精工舎の社長にはまだなっていません。セイコーの自動巻クロノグラフ6139は諏訪精工舎製でした。服部一郎は、諏訪精工舎の自動巻きクロノグラフのことを知らずにジャック・ホイヤーに「おめでとう」と声をかけたんでしょうか? 諏訪精工舎はすでに3月にはセイコーファイブスポーツの量産を開始しています。発売日も決まっていたと考えるのが自然です。服部一郎はこの販売計画を知らなかったのでしょうか?なぜ彼は自社製クロノグラフのことに一言も触れずにジャック・ホイヤーに「おめでとう」と声をかけたのでしょう?単なるリップサービス?それともセイコーのほうが優位に開発を進めているという自信?あるいは、ほんとにまったく諏訪精工舎の開発スケジュールについて知らなかったのでしょうか? もちろんジャック・ホイヤーがそんなセイコーのお家の事情を知る由もありません。写真は当時のジャック・ホイヤー。腕につけているのはcal.11搭載のオータビアです。
なんだか日本人としては非常にもったいない気分になってきました。では、なぜセイコーのアナウンスが遅れたのか、そのあたりをちょっと探ってみましょう。 一つには当時セイコーはバーゼルには参加していませんでした。なので、バーゼルで発表するという手段がそもそもありませんでした。またセイコーの時計が世界的にブレイクしたのはやはりアストロンの発表後です。ところでこのアストロンの発表も、銀座の和光での発表のみでした。そもそも世界的な発表をするという手段の選択自体が当時は難しかったことが伺われます。 また、セイコーが自動巻クロノグラフのプラットフォームにローコストのセイコーファイブを採用したということも多少は影響したかもしれません。アストロンの定価は当時45万円、これは普通車よりも高い値段でした。これくらいのモノになるとやはりきちんとした場所できちんと発表しなければいけないという気分にならざるをえませんが、一方のセイコーファイブスポーツは16000円と18000円という値段付けでした。大学卒の初任給が3、4万円のころですからけっして安くはありませんが、それでも高価な時計の中ではローコストのほうでした。 ちなみにゼニスのエルプリメロの日本での定価は14万5000円。キャリバー11を搭載したホイヤーのカレラが9万3000円、モナコが10万5000円でした。 セイコーのウェブページでは、自動巻クロノグラフの開発は「国産初」ということになっています。また、2003年にセイコーが出版した英語の「A Journey in Time」にはセイコーの「国産初」のクロノグラフのことはまったく触れられていないようです。
ではセイコーのクロノグラフはどうだったのでしょう?もう一度年表を並べてなおしてみましょう。 1969年1月10日 ゼニスがエルプリメロの試作品をスイスの特定のプレス向けに発表 1969年3月 セイコーがセイコースポーツファイブ6139を量産開始 1969年3月3日 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11を大々的に発表(スイス、ニューヨーク) 1969年4月 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11をバーゼルで発表 1969年5月 セイコーがセイコースポーツファイブ6139を発売 1969年夏 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11をデリバリー開始 1969年10月 ゼニスがエルプリメロをデリバリー開始 こう並べてみるとどうですか? どうも一番最初に自動巻クロノグラフを作ったのはセイコーのような気がしてきませんか? ただし、残念なことにセイコーの発表は5月でした。これではセイコーの自動巻クロノグラフは、極東の島国でひっそりと量産が開始され、ひっそりと島国向けにアナウンスされた、ということになってしまっても仕方ないかもしれません。 セイコーの自動巻クロノグラフは、セイコーファイブというローコストの時計をベースにしていましたが、設計にも見るべき点がいくつかあります。クロノグラフの制御にはピラーホイールを採用しており、また垂直クラッチを世界で初めて採用しました。この垂直クラッチ、いまではロレックスのデイトナが採用していることでも有名ですが、その世界初の採用はこのファイブスポーツです。 画像は一番初期のプロダクションロット、1969年3月のセイコースポーツファイブです。それなりに数がありますので、やはり量産に成功した後でアナウンスした、と見るのが自然と思えます。
では次にホイヤーブライトリングのグループはどうでしょう。 これは文句のつけようがなさそうです。3月にニューヨーク、スイス大々的に発表したということは、少なくともそれなりに量産の準備は出来ていたんでしょう。また4月のバーゼルでの発表は決定的ですね。 彼らは1968年の秋には100個ほどの量産サンプルを完成させていました。1969年1月のゼニスの発表に当初はショックを受けたものの、詳細が分かるにつれ(当時はインターネットもグーグルもありません。刊行物による情報の他は非常に限られた情報しか入手できませんでした)、自分たちのグループが遥かに先行していると自信を持ったといいます。 そして、いよいよバーゼルです。ホイヤーーブライトリングはそれぞれ、ブライトリングはクロノマティック、ホイヤーはカレラ、オータビアなど様々なキャリバー11搭載モデルを発表しました。一方、ゼニスは2、3の展示に留まりました。この展示で圧勝だと確信したそうです。 ところで、バーゼルの発表は量産準備ができているとはいえ、量産品ではありませんでした。一般に入手できるシリアル番号が入った量産品は1969年の夏に一般向けのデリバリーが開始されます。ゼニスのエルプリメロの量産はさらに遅れること4ヶ月の10月まで待たなければなりません。 写真はデュボアデブラによるクロノグラフモジュールの設計図です。
さて、世界初の定義がそう簡単ではなさそうだということは分かっていただけたと思います。 いよいよ1969年の出来事を年表にまとめてみましょう。 1969年1月10日 ゼニスがエルプリメロの試作品をスイスの特定のプレス向けに発表 1969年3月3日 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11を大々的に発表(スイス、ニューヨーク) 1969年4月 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11をバーゼルで発表 1969年5月 セイコーがセイコースポーツファイブ6139を発売 さて、これだけ見ると、どこが一番最初に自動巻クロノグラフを作ったように見えるでしょうか? 発表の順序だけだと、ゼニスですね。ただこの時はいくつかの試作品だけでした。実際にエルプリメロが入手できるようになるのはこの1969年10月です。やはりある程度量産の目処がたたないと大掛かりなプレスイベントは出来ませんし、一般大衆の注意を引きつけるのはちょっと難しいかもしれません。 エルプリメロは、1969年に発表された自動巻クロノグラフの中では、唯一現在でも入手できるムーブメントです。これは当時のエルプリメロの開発陣の設計思想が非常によかったということを歴史が証明しているとも言えます。また、かなり高いところに設計目標を置いていたため、当初の開発に時間がかかったのも致しかたないとも言えるかもしれません。 写真はテレビアニメ、ルパン三世から。次元大介もエルプリメロを使っていました。
日本の常識としては、量産が完了して発表するのは当り前で、発表は「発売」と同じです。 ところが世界の常識はちょっと違うようです。発表したといっても、かならずしも「発売」しなくてもいいようです。まあそれはそうですね。最近のバーゼルでも同じです。バーゼルで発表された時計が入手できるまで半年待ちなんていうのはザラにあります。40年後の現代ですら、そのペースが許容されるのですから、40年前はいったいどうだったんでしょう? さらに「量産開始時期」というのは回りからは分かりません。分かるのは「いつ、どこで、どのような形で発表したか。それはどのくらいの数だったか。品質はどの程度量産に耐えうるものだったのか」というアナウンスされたときの状況だけになります。 では、量産の準備が完全に整っていなくても発表したもの勝ちなのでは? もちろん時計に限らず、どんな発明にもその要素はあるでしょう。いくら自分で発明していても、それを「発明した!」と一般にアナウンスしてくれなかったら、一般からは発明していることは分からないです。それを分かれと言われてもちょっと困りますよね。
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