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Category 機械式時計のどこがいいのか

機械式時計のどこがいいのか その36

Last updated on September 26th, 2022伝説的なデザイナー、ジェラルド・ジェンタとロイヤルオークについては、各所で様々に語られているが、次はロイヤルオークならびに高級時計を入手する際の注意点について稿を起こそう。 メンテナンスの必要性についてである。ロイヤルオークがロイヤルオークであり続けるためには、メンテナンスが不可欠である。ロイヤルオークのケースは、元来の特許のコンセプトとしては「簡単に組立てが可能な防水構造であり、いままでにない審美性を与える」となっている。そして以下がyoutubeにアップロードされている Audemars Piguet のロイヤルオーク エクストラシン のケーシング工程の動画である。 ここで注意されたいのは、たしかにロイヤルオークの特許のコンセプト同様、ケーシングそのものは比較的簡単なのかもしれないが、ベゼルと文字盤、ケースにさまざまな加工がなされていることである。ジェンタは、ケーシングは簡易な構造にしたかったかもしれないが、それはあくまで防水を達成するためであり、他の一切の高級時計としての仕様については妥協しなかった。薄型の追求のために採用されたムーブメント2121。いままでにないタペストリーダイヤル、極限までこだわったクリアランス。立体感を出すためのベゼルの磨き分け。 デザイナーは、プロダクトにコンセプトを与える。そのプロダクトがそのコンセプト通りに製造されるかどうかはメーカーの責任である。Audemars Piguetは、見事にジェンタのコンセプトに従ったプロダクトを産み出した。その結果、当然ながらそのプロダクトの生産に必要な工数は膨らみ、ロイヤルオークの価格にも反映されることとなる。ロイヤルオーク発表当時の価格は、ステンレススチールの時計としては破格の3300スイスフランであった。これは当時のPatek Philippeのゴールド製のドレスウォッチよりも高価でRolexのサブマリーナの4倍以上の価格であった。 その製品のメンテナンスが簡単にできるはずがない。ムーブメントのオーバーホールだけでも大変だが、それはできたとしても、きちんとした仕上げがなされないと、ロイヤルオークはもはやロイヤルオークではなくなる。一例を上げよう。簡単に見えるベゼル部分だけでさえ三種類の磨き分けがなされている。上面はサテン仕上げ、側面はポリッシュ仕上げ、そしてパッキンに接着する部分はもう一度サテン仕上げである。 高級時計はおおよそ、5年に一度はこのようなメンテナンスが必要になる。それは正規ディーラーで車を車検に出す程度と同等のコストがかかるということは頭に入れておくとよいかもしれない。またこのメンテナンス・コストはメーカーによって異なるから、時計を購入するときに詳細を確認するのがよいかもしれない。

The fact of OMEGA Holy Grail…

デイ・デイト付き自動巻スピードマスター。いわゆる竪琴ラグのプロフェッショナルケースに、ムーブメントとしてオメガ1045を搭載した唯一のモデルである。オメガ1045は、後年のレマニア5100であり、ムーブメントの初出はl973年(昭和48年)とされている。 いまから50年前の1969年(昭和44年)にセイコー社が世界初のクオーツ腕時計を発表、昭和40年代後半のこの頃、すでにクオーツ時計が世の中を席巻しつつあった。しかし、スイスの各時計メーカーは、自動巻クロノグラフのマーケットを諦めてはいなかった。タグホイヤー、ブライトリングらが1969年に最初の自動巻クロノグラフをリリースしているし、ゼニスもエルプリメロを1969年に発表している。オメガも1971年(昭和46年)には初の自動巻クロノグラフ1040を搭載したスピードマスタープロフェッショナル MK III、次いで1973年には Mark IV をリリースする。 本モデルに搭載されたムーブメント、オメガ1045は1973年初出とされる。かのAlbert Piguet 氏らによって、オメガ向けにリリースされた自動巻クロノグラフの意欲作である。デイ・デイト表示に加え、24時間計表示、タフな耐ショック性などを備えていた。このタフさはツールウォッチメーカーに高い評価を得、後年、Sinn、Fortis、Tutimaなどが軍事用、航空宇宙用のモデルにこのレマニア5100(オメガ 1045)を採用することとなる。 時を同じくして1973年には自動巻クロノグラフのベストセラー、Valjoux 7750 がリリースされている。ところがこのValjoux7750は、そのわずか二年後、1975年には生産中止となってしまう。理由はクオーツの普及である。オメガも、1970年後半のスピードマスターの新製品は音叉やクオーツに移行してしまうことになる。 この10年(おおよそ1975-1985,昭和50年ー昭和60年ごろ) は機械式時計にとって冬の時代であった。しかし、1980年代(昭和55年~)の初頭になってくると機械式時計の復興の機運が盛り上がってくる。Vajoux 7750の再生産が開始され、1984年(昭和59年)には新生ブライトリングからアーネスト・シュナイダーによるクロノマットがリリースされる。また、ゼニスからエル・プリメロの再リリースがアナウンスされたのも1984年である。オメガも1985年(昭和60年)、10年ぶりに再び自動巻のスピードマスター MarkV をリリースする。 それに続く自動巻のスピードマスター、本モデルのリリースは1987年(昭和62年)である。1988年には、普及機である自動巻スピードマスター・リディースドの発表によって生産中止になっているから、このモデルの生産年数は、1987-1988年のわずか二年である。そして、オメガにとってはこのモデルが最後のオメガ1045の搭載モデルとなった。 その生産本数の少なさから、また当時この自動巻クロノグラフは多くドイツ/EUマーケット向けに出荷されたこともあり、とくに日米では極端に数が少なく幻とさえ言われることもあるモデルでもある。著名なオメガ.コレクターであった Chuck Maddox氏(故人。シカゴ在住であった)もそのあまりのレアさ故に「Holy Grail」とニックネームをつけたほどであり、日本でときにホーリーグレイル、聖杯モデルと呼ばれる由来はここからきている。 リファレンス 376.0822 製造年 1987-1988 キャリバー オメガ1045 総生産数 ~1800  

CHRONO TOKYO – 高級時計の条件 その2

現代では、機械式腕時計で時間を知る必要はそれほどない。腕に装着している機械式時計を見るとき、時間を知りたいというよりも、そこに存在しているデバイスを視て、数秒感の満足感を得たい、そういう思いのほうが強い場合があるのではないか。そして、そうしたオーナーの想いがあるとするのなら、機械式時計というデバイスは、その思いに応えることを要求されているのではないか。 ところで、この「オーナーに満足感を与える」という高級時計の条件の一つは、そうハードルが高いものではない。視認性の良し悪しはもちろんのこと、価格すら無関係である。単にオーナーのお気に入りの時計でありさえすればよい。 その一方で設計者として、不特定多数の人向けの量産時計で「お気に入りの時計」となるべき高級時計を設計するとなると、その難易度は極端に跳ね上がる。お気に入りの条件は千差万別(ミリタリー好きの方もいれば、クロノグラフ好きの人もいるし、ドレス時計が好きな人もいるでしょう。それに大きさの好みもいろいろありますよね)であることに加えて、そもそも自分のお気に入りを分かっていない人も多い。「これってかっこいい」とパネライを手に取っていうのは簡単だが、私の思う「かっこいい」時計はこうです、とパネライをデザインできる人は限られるはずだ。 浅岡氏は設計にあたって、CHRONO TOKYOのこの難易度をどうクリアしたのだろうか。 あくまで筆者の私見だが、浅岡氏のデザインコンセプトはこうではなかったか。 「自分が一、二秒間その時計を視つめて、それで満足感を覚えられる時計」 一瞬で時間が分かるということは、時計にとって善し悪しがある。視認性がいい時計の場合、すぐに目を切ることができるため、いかに炯眼の持ち主でもその時計のアラが分かりにくくなる。時間は確実に分かるが、時間を知るためには時計を視なければならない時計にする。そして二秒という時間、自分の視線に耐えうる時計を量産時計の価格帯で設計する。 そうであればこその専用文字盤、専用針、専用のケース、新規の革ストラップおよび尾錠ということになったのではないか。 二秒間という時間はけっこう長い。その長い間浅岡氏に視つめられて満足感を得られる、そんな時計が、機械式腕時計好きのある一定の層に受け入れられるのは当然であろう。 この時計が私のお気に入りの時計になるのはどうやら必然であったようである。

CHRONO TOKYO – 高級時計の条件

この時計は、腕に載せるデバイスに、「時間を知る」以上のことを求める人のための時計である。 一週間ほどCHRONO TOKYOと過した。これほどの時計であるから、もちろん満足度は高い。一方で写真撮影が難しいことに驚いた。このCHRONO TOKYOは、素晴らしい光沢文字盤に、これもまた光を反射する大きな針を持つ。屋内だとまあ大丈夫だが、屋外で写真を撮ると、あらゆる光を反射して写り込む。 次に、意外と視認性が良くはないことに驚いた。筆者の個体はグレー文字盤ということもあり、昼はともかく、夜の視認性は良いとはいえない。 だが、試行錯誤を繰り返した結果、CHRONO TOKYOでの視認性の確保のやり方がだんだんと分かってきた。つまり、CHRONO TOKYO で時間を見ようとしてはいけない。CHRONO TOKYOで時間を見るためには、1. まず腕時計を視る。そして、2. 針が光を反射する方向を探して腕を傾ける。この二動作がベストである。この二動作を行うことで、夜でも視認性を確保できる。CHRONO TOKYOの光沢文字盤と針とが、些かな光さえあればそれをきちんと捉えてくれるのだ。 一方で、この二動作を行うために、1ないし2秒は必要である。そのため、CHRONO TOKYOは、一瞬で時間を判別する用途にはたいして向いてはいない。切羽つまった電車の乗り換え時などにCHRONO TOKYOを視ている余裕はおそらくない。 これは一体どういうことなのだろうか。 腕時計であれば、見た瞬間に時間が分かってほしいものではないだろうか。特にミリタリー系のツールウォッチは視認性に非常にこだわる。例えばあれだけ文字盤が煩雑なブライトリングのナビタイマーでさえ、良好な視認性が確保されている。ところで、CHRONO TOKYOは、時間を知るために、常に時計を視ることを要求するデバイスなのである。 これが設計者、デザイナーである浅岡氏の意図であることは間違いないだろう。そして、それこそが、浅岡氏の考える「高級時計の条件」の一つなのではないか。 この「高級時計の条件」についてもう少し考えたいと思う。 追記 1st Mar 2020:  現在のリビジョンの Chrono Tokyo では反射を抑える方向で改善されている。ラグなどの造型もこの最初期のものとは若干違い、常に変更が加えられつづけている。

CHRONO TOKYO

「こだわり」にもいろいろある。 例えば評価の高い独立時計師がこだわって作る時計の場合、ほぼ好きなように値段をつけられるから、コストの制約はあまりない。こだわり放題である。パッケージや革ストラップなどは、時計本体の値段に比べればおまけのようなものであるから、選択の自由度は高い。豪華な化粧箱も作ることができるし、ストラップにクロコダイルを使おうが、ガルーシャを使おうが自由である。あらゆることにほぼ好きなようにこだわることができる。 一方で、税込20万円の時計で「こだわる」場合にはそうはいかない。時計本体のコストに制約が出てくるのはもちろんのこと、革ストラップ、パッケージのコストも馬鹿には出来ない。コスト制約のなかでの優先度をつけた「こだわり」である。今回はその制約の中での「こだわり」を見ていきたい。 まず開梱である。内部の梱包は最小限にしてあるが、そこで時計の化粧箱が第一のこだわりポイントである。大きさは最低限の、ちょうど60~70年代の時計の箱のサイズのようである。この化粧箱を開けようとすると気付くのが、内箱と外箱のクリアランスである。きっちりと内箱と外箱とがかみあう大きさに仕上げてある。 次はストラップである。革ストラップは、市販品で3000円くらいからでも入手できる。時計本体に「こだわる」のであれば、ストラップというのは交換可能なパーツでもあるし、ある程度はクオリティを犠牲にしてもよいパーツではないかと一瞬考えてしまう。しかし、この時計の場合は違う。豪華なものではないが、十分にしなやかでつけ心地も良い。色も文字盤にあわせてマッチした色の選択である。腕時計は、時計本体だけでは時計としての機能を果たせない。革ストラップも含めて時計の一部であると主張しているようである。そのサイズは、クラシックをリスペクトしたかのような 20-16であり、この時計にあつらえたかのようにすごく似合っている。裏にはGENUINE LEATHERと素気なく書かれているだけであり、いかにも市販品のような体裁だが、これも浅岡氏のデザイン、または監修のはずである。 尾錠も見逃せない。筆者が最初にパッケージを開けて驚いたのはこの尾錠であった。こういう形状の尾錠を筆者はあまり見たことがない。筆者の所持時計の中では、オーデマ・ピゲのヴィンテージ尾錠に似ている。現代の時計でいえばブライトリングの尾錠に似ているが、ブライトリングほど止め金の幅を広くとっているわけでもない。刻印も何もないが、まるでCHRONO TOKYOの時計本体とストラップ専用に作ったかのように大変よく似合っている尾錠である。 いよいよ時計本体である。 まず気付くのがその文字盤の素晴しさである。最近ではなかなか見ないボンベダイヤルで中央が盛り上ったデザインになっている。グレーということになっているが、光の反射で様々に色が変わる。針もオリジナルのデザインであり、この時計が高精度であるということを誇示するようにきちんとインデックスに届く長さである。しかもその上先端の曲げ処理まで施してある。そして、この文字盤と針を保護するのはボックスサファイヤである。まさしく往年の高級時計の浅岡氏流のモダンな解釈とでもいえようか。 最後に、ムーブメントおよび文字盤を保護するケースである。これもまたこだわりのケースである。サイドからラグへと流れる曲面は、なんとも言いあらわせない三次元の曲面で構成される。サイドの曲面がすっきりラグに収斂する様は往年のカラトラバやオーデマピゲのVZSSのような形状を彷彿させつつも、それとは違うモダンなデザインになっている。側面から見るとこれがよく分かるかもしれない。上が オーデマ・ピゲのVZSS、下が CHRONO TOKYO である。 さて、このようなこだわり抜いた時計が税込20万円で手に入る(注: 10/12現在.入手できない。最初の限定発売分は、発売開始わずか2日で受付停止であった。現在、追加生産を検討中とのことである)。デザイナーが、デザインだけでなく、量産工程の部品の監修、プロデュースを手掛けることで、ここまでのクオリティ、ポテンシャルを引き出すことができる。誰もができることではないが、モノヅクリをしている人たちは、自分の潜在能力に気付き、自身のこだわりによりフォーカスすることで、社会全体のポテンシャルを高めることができる。浅岡氏がこの時計で証明したかったことの一つはそういうことであったのかもしれない。

ロジェ・デュブイ氏逝く

先週、ロジェ・デュブイ氏が逝去とのニュースが、氏の名前を冠したブランド、ロジェ・デュブイからアナウンスされた。享年79歳である。 氏は、1950年代の終わりにロンジンで時計整備のキャリアをはじめた。ロンジンのクロノグラフの修理や整備などを担当したとあるが、当時のロンジンは第二次対戦終了当時、コンプリケーションでは間違いなく世界最高のブランドの一つであった。パテックフィリップでさえ自社のクロノグラフムーブメントを持っていなかったその当時、ロンジンは名機の誉れ高い13ZNおよびその後継30CHを持っていた。このロンジンでのクロノグラフの修理や整備というのは氏のコンプリケーションへの取り組みに大きな影響を与えたのではないだろうか。 その後氏は、パテックフィリップに移り14年勤めた後、1980年に小さな工房を立ちあげる。小さいながらもオークションハウスやコレクターの貴重な時計のレストアだけでなく、時計ブランドのコンプリケーションの製作まで受注したというから本格的な工房である。ここで氏は1980年代後半に初めてレトログラード表示のパーペテュアルカレンダーの製作を手掛けたと語っている。その後、1993年ごろフランク・ミュラーの立ち上げにも関わったカルロス・ディアス氏と共に氏は1995年にロジェ・デュブイを立ちあげることになる。当時のロジェ・デュブイの方針は、すべてのムーブメントを Geneve seal 認定を受け、また各モデル28本限定とするなど、品質に相当ののこだわりをもったものであった。 この共同創設者、カルロス・ディアス氏について興味深いインタビューがある。これは2004年、一時ロジェ・デュブイ氏が氏の名前を冠したブランドから引退したとき、当時の経営者カルロス・ディアス氏へなされたインタビューである。ブランドを代表する技術者の引退のそのインパクトを問われ、自信満々にカルロス氏はこう語る。ロジェ・デュブイの創立者は私、カルロス・ディアスであり、また当初からデザイン責任者であり、ロジェ・デュプイ氏は技術部門を束ねており、彼の名前をブランドに冠したのは友人に対するリスペクトであり、事業に大きな影響はない。最初からロジェ・デュプイは100%カルロス・ディアスなんだよ! また彼はこうも語っている。シンパシーは私がレストランにいたときに、友人と話をして四角に丸のスケッチをしたことから着想を得たものだ。名前も私が考えた。 ディアス氏の功績をおとしめるつもりはない。彼が現在のスイス時計業界に大きなインパクトを残してきたことに疑いはない。だが、少なくともここで彼が語っているシンパシーのデザインは、現行のシンパシーのことだと思われる。一方で我々は、最初にリリースされたロジェ・デュプイのシンパシーを知っている。それは、ロンジン最後の自社ムーブ L990をベースとし、これもまたロンジンのシンパシーケースを元にしたものだった。往年のロジェ・デュブイというブランドはやはり、ロジェ・デュブイ氏の古典に対する目の確かさ、愛着にかなり依拠していたというのは穿った見方になるのだろうか。 氏の冥福を祈りたい。 以下が筆者の手元にある Logines L990のオリジナルおよびシンパシーのオリジナルである。

機械式時計のどこがいいのか その37

腕時計にとってブランドとは、その所有者にとっては一、二に大切なものであろう。好きなブランドの時計を身につけることで、自分っていまこれを装着しているんだ、と自己満足にひたることができる。このような装飾品として、女性には宝飾品があるが、男性にはなかなかこのような装飾品というのは見当らないのではないだろうか。 ただいくらそのような高級時計といっても価格帯でいえば、その価格はせいぜい国産の軽自動車から国産乗用車の中級クラスの価格である。ということは、ローンさえ組めば一般的な社会人であれば誰でも購入できる物品であるということでもある。しかしそれが好きな人の場合、そのお気に入りのブランドの時計をつけている満足感は、乗用車に乗っているそれよりはるかに大きい場合がある。自分のアイデンティティと言う人までいる。 たかだか時刻を知らせる機械でしかない時計に、この満足感はどこからくるのであろうか。これからしばらくは時計のブランドというものについて考えてみたい。 最近EPSONからTrumeという新しいブランドが発表された。 ウェブページからキャッチコピーを引用する。 「1942年の創業以来、磨き続けたウオッチ製造技術と、 高精度センシング技術。 エプソンが培ってきた多彩な技術を結晶し、 誕生した独創の高機能ウオッチ”TRUME”。」 この文章には少し解説が必要であろう。 1942年の創業というのは、当時第二精工舎(亀戸)が出資し、諏訪市に(有)大和工業を設立した年である。これが諏訪精工舎の起源であるとされており、EPSONは創業をこの年であるとしている。 このキャッチコピーにある通り、その後の諏訪精工舎の開発の歴史は華々しい。 国産時計として代表作となる マーベル 初代ロードマーベル 初代グランドセイコー はすべて諏訪精工舎の作であるとされているし、1969年には二つの世界初を同時に達成している。 クオーツアストロン 「世界初」自動巻クロノグラフ セイコー5スポーツ 6139 これだけ見ても素晴しいきら星のような履歴である。当時の精工舎が諏訪に開発拠点を設けたのは間違いなく大成功であった。 その上、近年ではグランドセイコーのクォーツムーブメント9Fおよびスプリングドライブを開発したのも旧諏訪精工舎の流れを組むセイコーエプソンとなっては、「磨き続けたウオッチ製造技術」を名乗る資格は十二分にあると言えるであろう。 今週の時計はロードマーベル。国産時計初の高級時計としてデビューした、まごうことなき高級時計である。

機械式時計のどこがいいのか その35

若い時期の一時期、年齢を経てからでは絶対に不可能な仕事を達成することがある。ジェラルド・ジェンタにおけるロイヤルオークもその一つかもしれない。 ジェンタが秀逸なことは、その特許を読めば分かる。ジェンタは、どうやら自分のやっている進行中の仕事のその価値が分かっていたらしい。自分の行った仕事の価値を自分で理解してそれを文章にする。これは簡単に見えるが、実はそう簡単な作業ではない。新規性を産み出した人間が、自分で自分の産み出した価値をアピールするのは実は非常にバランスを必要とする、繊細な作業なのだ。 まずたいていの人は、まさに作業しているその新しい仕事に集中して時間をかければかけるほど、その仕事そのものが自分にとってはルーチンの仕事になってしまい、どこに新規性があったのか分からなくなってくる。そうならないためには他者の仕事を広く知ってつねに意識しておく必要がある。 その一方で新規性を産み出すためには、他者の仕事を知りすぎないということも必要になる。他者の仕事を知れば知るほど、自分の中ではそれが当たり前になってしまい、そうなってしまうとブレイクスルーの必要性も失われてしまう。ブレイクスルーするためには、他者の仕事を知りつつも、「ここが不便だ。ここがおかしい。自分だったらこうする」という強烈な意識を保つ必要がある。その意識を保つためには、年齢的には気力がみなぎっている若いほうが有利であろうし、その意識を保つために、あえて知らないということも場合によっては必要になってくる。 ジェンタの秀逸なところは、そこで微塵もブレていないところである。自分の仕事の価値はここにある。世の中にある新しい仕事はここにあると書いている。若いとはいえ、当時から広くいろんな仕事を見ていたのであろう。 ジェンタが残したロイヤルオーク。ジェンタが予見した通り、現代でも、このデザインはいささかも古びていない。当時としては破格な39mmという大きさ、加えてドレスなみの7mmという野心的な薄さ、さらに防水のためにテンションリングに頼らないワンピースケース、そのために採用になった伝説的なキャリバー2121。文字盤のタペストリーダイヤルに、極限までつめた針と文字盤のクリアランス。いささかの妥協も許さないそのデザイン、これこそが若さであると思う。これからの時代を自分が拓くという気概に満ちている。いつまでたっても古びない、若い時計。それがロイヤルオークなのかもしれない。  

機械式時計のどこがいいのか? その34

やはり機械式時計は機械式なのです。ゼンマイで動力を与えて、歯車を複数動かし、そして、何らかの目的にあった形で時間を掲示するのです。その大きな流れが軍用とドレス用です。以下の写真はパネライルミノール47mmとオーデマピゲのヴィンテージ、VZSSc 36mm です。 果してどちらが高級時計に見えるでしょうか?もちろん、パネライルミノールもかなりな高級時計です。しかし、どちらかといえば、やはり高級に見えるのはドレス時計のオーデマピゲではないでしょうか? そもそもの目的が違うので、この二つを比べるのはすこし無理がありますが、パネライは、イタリア海軍の軍用時計をモチーフに頑丈さ、防水性、精度を追求しており、ラグジュアリースポーツという新しい系統に属します。これはそもそもはオーデマピゲのロイヤルオークによって開拓された分野で、パネライが現在先陣を切って開拓している分野といってもそうは間違っていないでしょう。 一方の名機の誉れ高いオーデマピゲのVZSScです。素晴しいムーブメントを搭載しており、仕上げはもちろん、精度も当時のクロノメーター級です。1950年代の時計ですが、現在でもかなりの高精度を維持しています。一方でお世辞にも頑丈とはいえません。また、防水性もほとんどありません。 やはりムーブメントが時計の形を決める部分はかなり大きいのです。パネライのムーブメントでは、ドレス時計を作るのは至難の技でしょうし、一方のAP VZSScは、間違っても数を量産できるムーブメントではありません。現代でもオーデマピゲAP2121など仕上げの卓越したムーブメントの量産数量は限られており、故障時の代替部品の迅速な供給が求められる軍用などのハードな用途に使う時計にはまず向いてはいないでしょう。

機械式時計のどこがいいのか? その33

腕時計なんて、少しくらい厚くたっていいじゃん そのお気持ちもよく分かります。大きく格好良く厚くしっかりしている時計もたくさんあります。 防水性能は300m、クロノグラフが付いて、デイト付き、デイトはいつでも変えることができて、パワーリザーブは3日、いいですよね。頑丈で、いつでもどこでも信頼して使うことができます。 もちろん私もそういう時計もかなり好きです。しかし一方、腕時計はその構造上、外側の体積密度が高くて(密)、内側の体積密度が低くなります(疎)。外側は防水のためにステンレスや金などをはじめとする金属で覆わなければいけません。一方その中空の中身には歯車が稼動するムーブメントが入ります。稼動部分がある以上、どうしても内部を金属で100%満たすわけにはいきませんから、密度的には疎になってしまいます。 ということは原理的にはムーブメントが大きく厚くなればなるほど、時計の重心は高くなってしまう傾向が出てきます。大きくしっかりした時計を腕につけるとひっぱられる感じがします。そうなってしまうと付け心地がそれ以上悪くならないためには、時計をホールドするベルトをしっかり作る必要があります。となると、これでブレスもしっかりした重量のあるものになってきます。 「ムーブメントの厚さ」 一言にいえばたいしたことなさそうに見えますが、実はこれはかなり深いテーマなのです。元々のムーブメントが厚いとどうしたってその時計は薄型にはなれません。しっかりとした厚いムーブメントをしっかりホールドする土台、ケース、さらに厚いケースをしっかりホールドするブレスレット、こういう時計になってしまいます。 画像は PAM00372。パネライごく初期のプロトタイプ復刻です。ラジオミールケースにルミノールのリューズという独特の形状です。パネライはイタリア海軍の軍用時計がルーツですから、しっかりと作られている時計の代表格といってもいいかもしれません。

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