さて世界初の話の続きです。この定義がどのくらい難しいのか、クォーツの世界初の話を例にとって検証してみましょう。 セイコーは、2004年、クォーツ式腕時計の開発で、IEEE(アメリカの電子情報通信学会)からマイルストーン賞を受賞しています。IEEEは電気、電子業界では国際的にも権威が高い学会です。その学会に認められたことよる受賞ですから、少なくとも公平な立場から見て世界的に大きなインパクトを残したと、世界から認められたということに他なりません。 ではその日本語を見てみましょう。 抄訳すると、 10年間の開発努力の末、1969年12月25日に世界に先駆けて発売した、 となっていますね。 この「発売」が重要です。ちょっと気にかけておいてください。 IEEEはアメリカの学会ですから、原文は英語です。 簡単に訳してみますと、 諏訪精工舎は、セイコーの生産会社として、一般向けとして最初のクォーツ腕時計を量産した。それは1969年の12月25日に東京で発表された。 となります。 ちょっと違うのが分かりますね。これが実はかなり大きな違いになってきます。
結局、北京空港から飛行機が飛びませんでした。いやー夜の10時半にキャンセルと言われてもなぁ。日本だと地上職員さんが一所懸命にいろいろとやってくれるのでしょうが、さすがは中国。やっぱり大陸はスケールが違います。結局1時間半待って荷物を取って、さらに1時間待って新しいフライトを予約しました。もちろん代替の宿泊施設や毛布なんか用意してくれるわけがないので、ホテルも取り直しです。もちろん近くのホテルは満杯です。とまあいろいろやって、やっと一段落です。いかに自分が日本に慣れきって怠惰になっていたのかを痛感します。(^^) さて、クロノグラフに自動巻機構を設けるという世界初の試みを行った時計メーカー3社が出揃いました。ゼニスそしてホイヤー-ブライトリング、セイコーです。 では次に「世界初」の定義をしましょう。これって、以外と難しいんですよね。ギネスブックが一私企業のコレクターブックなのに、あれだけ好評を博している理由の一つがここにあると思えます。つまり、「世界一」の基準をきちんと定義して比較できるようにしてあるということです。 ちょっと以前、阪神タイガースの金本選手の連続イニング出場の記録がギネスに認定されるかされないかという話題がありました。曰く、それは公平な記録であるのかどうか、日本の野球のレベルはアメリカから見ると低いのではないか、年間160試合をアメリカ中飛びまわるメジャーリーグと、年間140試合を日本で行うプロ野球とでは連続イニング出場の強度が違うのでは?などと議論があった模様です。結局認められたのですが、野球というデータがすべて公開されて公式記録として残っているプロスポーツでこれですから、クローズドな体質を色濃く残す時計業界で、誰が一番最初にある機構を考え出したのか、これを決めるのは実は思ったよりそう簡単でもないかもしれません。
では最後のメーカーに行きましょう。もちろん我らがセイコーです。 セイコーは創立を1881年まで遡れます。これは明治維新からわずか13年後ですから相当古いころといえます。アメリカの時計メーカー、ハミルトンの創設が1892年と自社のホームページでアナウンスしていますから、それより10年近く古いです。同じ1969年には世界初のクオーツ式腕時計を発表して、スイス時計産業にかなり大きな影響を与えます。 世界初のクオーツ式腕時計を開発したのは、諏訪精工舎(現在のセイコーエプソン)でした。一方東京の亀戸の第二精工舎(現在のセイコーインスツルメンツ)は機械式時計に力を入れていました。セイコーは伝統的にこの二社がしのぎを削って新製品を開発してきています。実はセイコークオーツの発表の一年後1970年には第二精工舎から世界初の低消費電力CMOS ICを使ったクオーツ時計が発表されています(36SQC)。クロノグラフも同様で、諏訪精工舎がこのころは自動巻きクロノグラフの開発も行っており、70年になると同様の自動巻きクロノグラフが第二精工舎からもリリースされます。 セイコーは、ホイヤーやゼニスと違って、ムーブメントメーカーを買収するというわけにもいきませんので、自前の仕組みでクロノグラフの自動巻き化を推進することになります。そのプラットフォームに選ばれたのが、セイコースポーツファイヴでした。ホイヤーやゼニスと大きく違うのは、セイコーは当初からローコストを追求する選択をしていた、ということです。
© 2025 Wristwatchな世界 — Powered by WordPress
Theme by Anders Noren — Up ↑