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最初に自動巻きクロノグラフを作ったのはどこか?

Last updated on September 3rd, 2021 1969年(昭和44年)というは実にエポックメイキング年であった。アメリカのアポロ11号が月に着陸し、時計業界では、セイコーが世界初のクオーツ腕時計を発表した。一方で、同時期にこれも世界で最初の自動巻きクロノグラフを発表した3つのグループがあったことはあまり知られていない。その3つのグループとは以下であった。  ゼニスーモバード  ホイヤー、ブライトリング、ビューレン、デュボアデブラのグループ  セイコー これらの3つのグループは相前後して革新的な自動巻きクロノグラフを発表する。今となってみると、何がそんなに難しかったのかよく分からないことも多いが、いったい、何がそんなに当時は難しかったのか。 当時の設計手法 紙と鉛筆で設計して、組み上げてみて動かないときは修正する、コンピュータ支援設計システムがない当時、200~300の部品すべてについてこの作業を行う必要がある。 当時の量産技術 大量生産の技術はまだ現在ほど確立されていなかった。精度も現在ほどではなく、組み上げた後に調整しなければならない箇所も多かった。 開発費用 ホイヤー=ブライトリンググループは、当時で50万スイスフランと4年の月日を費やしたとされている。中小企業の開発としては、会社の死命を制する開発規模であった。 技術的な難易度の高さ。 クロノグラフは、時計の機能の他にいわゆるストップウォッチの機能を持つ時計である。限られた腕時計の体積に、時計のメイン機能、クロノグラフ機構と自動巻き機構を詰め込む必要があった。 今回から数回で自動巻きクロノグラフの黎明期を見ていきたいと思います。

最初に自動巻クロノグラフを作ったのはどこか?その7

さて、いよいよモジュールメーカーのデュボア・デブラの出番です。 この会社はいまではモジュールメーカーとして不動の地位を占めています。ブライトリングやジャガールクルト、パテックフィリップ、ロレックス、オーディマピゲ、リシャールミルなどありとあらゆる有名メーカーにモジュールを提供しています。得意とするのはカレンダーモジュールと、クロノグラフモジュールです。APのロイヤルオークオフショアのモジュールはこのデュボア・デブラの仕事です。 会社の創立は1901年まで遡れます。デュボア・デブラは当時からクロノグラフなどの複雑機構を得意としていました。現代のクロノグラフ(ストップウォッチ機構つきの時計)の原形は、1862年のロンドン博覧会で発表されたアンリ・フェレオル・ピゲ(Henri-Fereol Piguet)というのがおそらく正しいでしょう。ゼンマイの動力源(香箱)は一つで、ストップウォッチの動作中に時計の動作が止まることはありませんでした。そしてブライトリングによる腕時計型クロノグラフの開発は1915年とされていますから、1901年のデュボア・デブラの創設時はまさにクロノグラフの開発が発展途上だったころと重なっています。 そのデュボア・デブラは1960年代当時はホイヤーと密接な関係にありました。ホイヤーのキャリバー7700のストップウォッチはデュボア・デブラの仕事です。他にはモンテカルロストップウォッチ(7714)のモジュールもデュボア・デブラです。 こうしてデュボア・デブラは、ビューレンによる薄型の自動巻きをベースとしたクロノグラフ用のモジュールを一から開発するという、このプロジェクトで一番難しい個所を担当することになります。このグループの自動巻きクロノグラフの開発競争は、ほぼデュボア・デブラ次第ということになったわけです。

最初に自動巻クロノグラフを作ったのはどこか?その6

さてホイヤーーブライトリングというスポンサー連合が結成され、薄型の自動巻モジュールもビューレンからの新作で目処が立ちました。あとはクロノグラフモジュールです。 クロノグラフというのは、簡単に言うとストップウォッチです。いまだと100円ショップで売ってますので、どんなに難しかったのか、ちょっと感覚として分かりにくいですね。ただ、現在のような仕組みがない時代、たとえば昔のオリンピックでの計測は大変でした。人間が手でスタート、ストップを押していたので、人によってばらつきがでます。そこで10人程度で計測して、その平均を公式記録とするなどの方法がとられていました。 その他の社会的な要請としては、当時歴史的な発達を遂げた航空界などもありました。時速1000Kmで飛んでいると、1秒で280mも移動してしまいます。 50年代、クロノグラフは、このようなプロフェッショナル用途から一般の腕時計への展開がはじまっていました。1960年代にはブライトリングはアメリカで5万ドル(現在の価格で約400万円、物価が10倍として4000万円)を投じたキャンペーンを展開、007のサンダーポール作戦ではショーン・コネリーの腕にもブライトリング トップタイムがはめられました。 さて、この計時機能ですが、計時する時は、本体の時計部分から動力を分けてもらいます。これは動力元のゼンマイからいうと、動かすべき歯車が増えることになります。そのために精度が落ちては計測の精度が落ちてしまいますので、このクロノグラフモジュールの設計には、本体部分をきちんと理解した上で、限られたスペースに複雑なモジュールを設置する必要がありました。

最初に自動巻きクロノグラフを作ったのはどこか。その4

さて、ブライトリングーホイヤー連合の簡単な紹介をしましたが、では肝心のムーブメントはどこが作るの?と思ったあなた、あなたはかなりの時計通ですね(^^) 当時から、スイスの時計産業は高度に分業化されていました。ダイヤルや針、ムーブメント、ケース、追加モジュール(カレンダーやクロノグラフ機能)、このそれぞれについて、それぞれを専門で作るメーカーがいます。時計の心臓にあたるムーブメントでいえば、ホイヤーのクロノグラフはバルジュー社のムーブメントを使っていましたし、ブライトリングではヴィーナス社のムーブメントが有名です。 この連合の最初からのアイディアは、マーケットへのリリースを最優先し、薄型の自動巻きムーブメントにクロノグラフのモジュールを載せるというものでした。そこで以下を採用しました。 薄型の自動巻きムーブメント…ビューレン(Buren)によるマイクロローター自動巻きムーブメント クロノグラフモジュール…デュボアデブラ(Dubois Depraz)によるモジュール ビューレンというメーカーは今はもうすでにありません。一方、デュボアデブラは、モジュール専業メーカーとして現在もその存在感を増しています。 次からこのそれぞれについて見ていければと思います。

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