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最初に自動巻きクロノグラフを作ったのはどこか?

Last updated on September 3rd, 2021 1969年(昭和44年)というは実にエポックメイキング年であった。アメリカのアポロ11号が月に着陸し、時計業界では、セイコーが世界初のクオーツ腕時計を発表した。一方で、同時期にこれも世界で最初の自動巻きクロノグラフを発表した3つのグループがあったことはあまり知られていない。その3つのグループとは以下であった。  ゼニスーモバード  ホイヤー、ブライトリング、ビューレン、デュボアデブラのグループ  セイコー これらの3つのグループは相前後して革新的な自動巻きクロノグラフを発表する。今となってみると、何がそんなに難しかったのかよく分からないことも多いが、いったい、何がそんなに当時は難しかったのか。 当時の設計手法 紙と鉛筆で設計して、組み上げてみて動かないときは修正する、コンピュータ支援設計システムがない当時、200~300の部品すべてについてこの作業を行う必要がある。 当時の量産技術 大量生産の技術はまだ現在ほど確立されていなかった。精度も現在ほどではなく、組み上げた後に調整しなければならない箇所も多かった。 開発費用 ホイヤー=ブライトリンググループは、当時で50万スイスフランと4年の月日を費やしたとされている。中小企業の開発としては、会社の死命を制する開発規模であった。 技術的な難易度の高さ。 クロノグラフは、時計の機能の他にいわゆるストップウォッチの機能を持つ時計である。限られた腕時計の体積に、時計のメイン機能、クロノグラフ機構と自動巻き機構を詰め込む必要があった。 今回から数回で自動巻きクロノグラフの黎明期を見ていきたいと思います。

本物のス丶メ その14

本物のコストは本当に高いのか。 前回、製造業の原価は意外と高そうだということを見た。では次に日本を代表する時計メーカーとして、セイコーの製造コストについて見てみよう。 2019年度の有価証券報告書によると以下である。 総売上高:  247,293 (百万円) 売上原価: 150,955 (百万円) 販売費および一般管理費: 86,943 (百万円) うち広告宣伝費 16,905 (百万円) 設備投資: 5,029 (百万円) 約2500億円の売上高に対して、工場を稼働させて原材料を加工し製品を製造するためのコスト、売上原価が約1500億円。販売にかかる一般管理費が約870億円、このうち広告宣伝費が170億円程度。設備投資が約50億円。前回のPanasonicの総売上高が8兆円だから、売上規模は大きく違うが、比較してみると興味深いことが分かる。 セイコーは。広告宣伝費の売上高に占める比率がPanasonicよりも著しく大きい 。同じ金額を売り上げるのに5倍以上の広告費をかけている。 原価の売上に対する比率は、セイコーが一割程度低い 。 Panasonicは、設備投資の総売上高に対する比率が高く、セイコーの二倍近い。 セイコーは、ウォッチ事業以外にも電子デバイス事業など他の事業も展開している。ウォッチ事業の売上は、5割強であるからあくまで総括的な傾向であるが、やはり贅沢ブランドを含む企業体は広告宣伝費が大きく、原価が低く、設備投資も若干低い傾向にありそうだということが分かるのではないだろうか。 今回の時計は、ホイヤーコルティナ。ホイヤー=ブライトリング連合による自動巻クロノグラフキャリバー、クロノマチックを搭載する1977年の作品だ。  

機械式時計はなぜ動くのか その17

Q値という「物理量」についての話を続ける。「物理量」とはそもそも人間が考えた仮説の一つであった。仮説は、汎用的な概念を含んだ仮説であればあるほど分野を超えて広く使われるようになる。ニュートンの「万有引力の法則」では、リンゴが落ちるときに働く力と、天体と天体との間に働く力とは同じ法則に従っていると説く。一見まったく違った現象に見えるそれらを汎用的な法則で説明したからこそニュートンは偉大であった。 Q値に戻る。この概念は、Valjoux 22 の初出と同じ1914年に提唱された。それ以来、分野を超えて振動現象の品質について広く使われる定義になっている。振動現象とは、ある一定期間内に繰り返される周期的な運動のことであり、ヒゲゼンマイの収縮運動は間違いなく振動現象である。そうなると、時計の場合もQ値は定義でき、実際に以下のように定義される。 Wはその振動現象を行っているシステム、ここではテンプに蓄えられるエネルギー、ΔWは一回の振動で失なわれる量である。 つまりは、一回テンプを動かして、それがどのくらい動き続けたかを観測できれば時計のQ値は実測できる。実際にテンプのみを取りだして、一回それを収縮させ、それが20秒間動き続けたとしよう。この場合 Q値はおおよそ300になる。5振動は 2.5Hzであるから一秒あたり2.5回往復運動をする。それが 20秒動作したということは 50回テンプが往復運動をしたということになる。ということは、一回の往復運動で1/50ずつエネルギーが失われ続けたということになるから、その往復回数に2πを乗算すればQ値は計算できる。 一方で例えば5振動の時計のテンプが2秒で止まってしまったとしよう。この場合Q値はおおよそ30になる。Q値が一桁違えば精度はおおよそ一桁変わってくると予測できた (機械式時計はなぜ動くのか その14)から、Q値が30の時計の日差が+-60秒程度だとすると、Q値が300の時計はおおよそ日差+-6秒程度に収まるであろうことが予想できる。もちろんQ値のみで日差は決まるわけではなくあくまで目安でしかないが、物理法則とはかくも素晴しく、我々の生活に予測を与えてくれるもののようである。 今週の時計は、「世界初の自動巻きクロノグラフ」の系統を汲むcal.12を搭載したホイヤーコルティナである。ホイヤーの70年代モデルの中ではあまり見かけないモデルだが、オクタゴンのフェイスやブレス一体型のデザインなど、1970年代の雰囲気がよく出ている時計だと思う。このモデルに関しては以下のリンクが詳しい。 ULTIMATE GUIDE TO HEUER CORTINA

最初に自動巻クロノグラフを作ったのはどこか、番外編(2)

日本でセイコーが1969年5月に発売を開始した自動巻クロノグラフ、スピードタイマー。ただ、世界的に発表が速かったのは、ブライトリングーホイヤーでした。セイコーが1969年3月、発売に向けて量産を進めている中、クロノマティック(キャリバー11)をジュネーブとニューヨークで発表、通説ではこれが世界最初の自動巻きクロノグラフであったとされています。 実はこの話に後日談があります。 1969年の3月、世界初の自動巻クロノグラフが発表されたその日、まさにその日が、世界で一番最初の自動巻クロノグラフが修理返品された日だった、というのです。ニューヨークで発表後、クジを引き当てた幸運なコレクターが、喜んで世界初の自動巻クロノグラフを持ち帰ったその日の夕方、クロノグラフの不具合で当時のアメリカでトップ代理店に修理を依頼、代理店の人も、初めて見る自動巻クロノグラフ、特に左リューズの構造にはかなりのショックを受けたといいます。 この話から、二つのことが分かります。 ブライトリングーホイヤーはキャリバー11をある程度の数を生産していた。少なくともニューヨーク、ジュネーブで同時発表した時に、クジを引き当てた幸運な人々にデリバリーできる程度には。 当時の新設計、キャリバー11のクオリティには、早急な改善が必要とされていた。 これを、まだ量産のクオリティに達していないものを発表したと捉えるのか、ある程度の品質に達していたからこそ、続く1969年4月のバーゼルフェアでもホイヤー、ブライトリング、ハミルトンから多種多様なモデルを発表できた、と考えるのか。いずれにせよ、莫大な投資をして、社運を賭けたプロジェクトを遂行している時に、こういう大々的なマーケティングイベントを開催できるというのは、当時の欧米メーカーがいかに強かったかということを表しているとも思えます。 画像は、当時のキャリバー11の設計図です。不具合は、クロノグラフ機構のオペレーティングレバー8140にあったそうです。

機械式時計のどこがいいのか? その3

さて機械式時計の大分類はできました。引き続き、その機械式WristWatchに含まれる機能を分類していきましょう。 時計ケースおよび外装 ケースサイズ(幅20mm~50mm、厚さ7~15mm) ケース形状(ラウンド、角型、樽型、長方形、クッション、楕円形) ケース材質(ステンレス、プラチナ、イエローゴールド、ホワイトゴールド、レッドゴールド、チタン、金メッキ、金張リ、セラミック、アルミニウム、ザリウム) 防水機能(非防水、日常生活防水、日常生活強化防水、空気潜水、飽和潜水) 対磁能力(JIS一種、JIS二種) ケース裏蓋(スナップバック、スクリューバック、一体式、シースルーバック) ケース仕上げ(ポリッシュ、ヘアライン) ベゼル形状 (フラット、コインエッジ、ステップド、両方向回転式、片方向回転式) ガラスの材質(プラスティック、ミネラルガラス、サファイアガラス) ガラス形状(平面、ドーム) ガラスコーディング(コーディングなし、片面無反射コーディング、両面無反射コーディング) リューズの形状(オニオン、ラウンド、ストレート、ファセット) ベルト材質(カーフ、クロコ、リザート、ウレタン) バックル形状(尾錠、3つ折れ、観音開き) 文字盤 表示機能(時分秒、日付、曜日、月齢、GMT機能、クロノグラフ機能、ワールドタイム、永久カレンダー) 色(白、マットブラック、ミラーブラック、ブルー、レッド、グラデュエーション) 材質(メタル、エナメル、シェル、メテオライト) 装飾(ギョーシェ、タペストリー、スケルトン、インダイヤルのレコード溝) インデックス (ブレゲ数字、アラビア数字、ローマ数字、バー、ドット、リーフ、楔形) 針の形状 (スペード、リーフ、バトン、ペンシル、ブレゲ、アロー、ベンツ、コブラ、サーペント、ドルフィン) カレンダー表示(デイト、インダイヤル、ポインターデイト、デイデイト、ビッグデイト、トリプルカレンダー) 秒針の配置(センターセコンド、スモールセコンド、なし) クロノグラフのレジスター配置(縦3つ目、横3つ目、縦2つ目、横2つ目、同軸クロノ) ムーブメント 精度 (クロノメータ規格、GS規格、PPシール) 内蔵ゼンマイの数(1、2) ゼンマイの巻き上げ方式(手巻き、自動巻、手巻き付き自動巻) ムーブメントの振動数(5.5振動、6振動、8振動、10振動) ムーブメントの審美性(ジュネーブシール、PPシール) 二番車の位置(センター、オフセンター) 脱進機(アンクル、コーアクシャル) 緩急調整方式(エタクロン、トリビオス、スワンネック、ジャイロマテックステンプ、マイクロステラナット) ヒゲゼンマイ(平ヒゲ、ブレゲヒゲ) 自動巻ローターの配置(センターローター、マイクロローター、ペリフェラルローター) 自動巻の巻き上げ方式(両方向巻き上げ、片巻き上げ、リバーサー、スライディングギア、ラチェット、スイッチングロッカー、ペラトン) クロノグラフの制御機能(コラムホイール、カム)… Continue Reading →

最初に自動巻クロノグラフを作ったのはどこか?その18

最初に自動巻クロノグラフをリリースしたのは、どこのメーカーだったのか、まとめです。 ゼニス/エルプリメロ…ゼニスのウェブでは、「完全一体型のコラムホイール式自動巻クロノグラフ・ムーブメントを開発した最初の時計メーカー」と主張しています。どうもライバル のホイヤーーブライトリング(カム式、モジュール型クロノグラフ)に対して「難しいことをきちんとやったから時間がかかったんだ」という負けた怨念が垣間みえるようです。たしかにエルプリメロの完成度は高く、現在まで通用する基本設計がなされていました。 ホイヤーブライトリング/キャリバー11…ホイヤーのウェブでは、初の自動巻クロノグラフムーブメントを開発、発表となっています。ブライトリングのウェブでは、共同で自動巻クロノグラフを開発した、となっています。どちらかも余裕のコメントですね。やはり時計は量産できてはじめて製品といえるのでしょうから、世界で一番早く自動巻クロノグラフを製品化した、またそれを分かるようにきちんと発表もしているという自信があふれているように見えます。キャリバー11自体は、マイクロローターの巻上効率が悪く、すぐにキャリバー12へと更新されていますが、このモジュール構成は後のムーブメントに大きな影響を与えました。現在、同様のモジュール構成をとった自動巻クロノグラフムーブメントとしては、有名なバルジュー(ETA) 7750があります。 セイコー…発表はホイヤー-ブライトリングに遅れること二ヶ月の5月です。しかしながらホイヤーープライトリングのキャリバー11の量産が夏であることを考えると、ほぼ間違いなく量産を開始したのは一番早いです。69年3月という量産初期のシリアルの時計がけっこうウェブで見つかります。クロノグラフのピラーホイール制御、世界初の垂直クラッチの採用と設計にも見るべきポイントがあります。この垂直クラッチは近年のクロノグラフムーブメントに大きな影響を与えています。有名なところでは、ロレックスのデイトナ4130にも採用されています。 1969年1月10日 ゼニスがエルプリメロの試作品をスイスの特定のプレス向けに発表 1969年3月 セイコーがセイコースポーツファイブ6139を量産開始 1969年3月3日 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11を大々的に発表(スイス、ニューヨーク) 1969年4月 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11をバーゼルで発表 1969年5月 セイコーがセイコースポーツファイブ6139を発売 1969年夏 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11をデリバリー開始 1969年10月 ゼニスがエルプリメロをデリバリー開始 この稿、これで終わります。

最初に自動巻クロノグラフを作ったのはどこか?その16

なんだか日本人としては非常にもったいない気分になってきました。では、なぜセイコーのアナウンスが遅れたのか、そのあたりをちょっと探ってみましょう。 一つには当時セイコーはバーゼルには参加していませんでした。なので、バーゼルで発表するという手段がそもそもありませんでした。またセイコーの時計が世界的にブレイクしたのはやはりアストロンの発表後です。ところでこのアストロンの発表も、銀座の和光での発表のみでした。そもそも世界的な発表をするという手段の選択自体が当時は難しかったことが伺われます。 また、セイコーが自動巻クロノグラフのプラットフォームにローコストのセイコーファイブを採用したということも多少は影響したかもしれません。アストロンの定価は当時45万円、これは普通車よりも高い値段でした。これくらいのモノになるとやはりきちんとした場所できちんと発表しなければいけないという気分にならざるをえませんが、一方のセイコーファイブスポーツは16000円と18000円という値段付けでした。大学卒の初任給が3、4万円のころですからけっして安くはありませんが、それでも高価な時計の中ではローコストのほうでした。 ちなみにゼニスのエルプリメロの日本での定価は14万5000円。キャリバー11を搭載したホイヤーのカレラが9万3000円、モナコが10万5000円でした。 セイコーのウェブページでは、自動巻クロノグラフの開発は「国産初」ということになっています。また、2003年にセイコーが出版した英語の「A Journey in Time」にはセイコーの「国産初」のクロノグラフのことはまったく触れられていないようです。

最初に自動巻クロノグラフを作ったのはどこか?その15

ではセイコーのクロノグラフはどうだったのでしょう?もう一度年表を並べてなおしてみましょう。 1969年1月10日 ゼニスがエルプリメロの試作品をスイスの特定のプレス向けに発表 1969年3月 セイコーがセイコースポーツファイブ6139を量産開始 1969年3月3日 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11を大々的に発表(スイス、ニューヨーク) 1969年4月 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11をバーゼルで発表 1969年5月 セイコーがセイコースポーツファイブ6139を発売 1969年夏 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11をデリバリー開始 1969年10月 ゼニスがエルプリメロをデリバリー開始 こう並べてみるとどうですか? どうも一番最初に自動巻クロノグラフを作ったのはセイコーのような気がしてきませんか? ただし、残念なことにセイコーの発表は5月でした。これではセイコーの自動巻クロノグラフは、極東の島国でひっそりと量産が開始され、ひっそりと島国向けにアナウンスされた、ということになってしまっても仕方ないかもしれません。 セイコーの自動巻クロノグラフは、セイコーファイブというローコストの時計をベースにしていましたが、設計にも見るべき点がいくつかあります。クロノグラフの制御にはピラーホイールを採用しており、また垂直クラッチを世界で初めて採用しました。この垂直クラッチ、いまではロレックスのデイトナが採用していることでも有名ですが、その世界初の採用はこのファイブスポーツです。 画像は一番初期のプロダクションロット、1969年3月のセイコースポーツファイブです。それなりに数がありますので、やはり量産に成功した後でアナウンスした、と見るのが自然と思えます。

最初に自動巻クロノグラフを作ったのはどこか?その14

では次にホイヤーブライトリングのグループはどうでしょう。 これは文句のつけようがなさそうです。3月にニューヨーク、スイス大々的に発表したということは、少なくともそれなりに量産の準備は出来ていたんでしょう。また4月のバーゼルでの発表は決定的ですね。 彼らは1968年の秋には100個ほどの量産サンプルを完成させていました。1969年1月のゼニスの発表に当初はショックを受けたものの、詳細が分かるにつれ(当時はインターネットもグーグルもありません。刊行物による情報の他は非常に限られた情報しか入手できませんでした)、自分たちのグループが遥かに先行していると自信を持ったといいます。 そして、いよいよバーゼルです。ホイヤーーブライトリングはそれぞれ、ブライトリングはクロノマティック、ホイヤーはカレラ、オータビアなど様々なキャリバー11搭載モデルを発表しました。一方、ゼニスは2、3の展示に留まりました。この展示で圧勝だと確信したそうです。 ところで、バーゼルの発表は量産準備ができているとはいえ、量産品ではありませんでした。一般に入手できるシリアル番号が入った量産品は1969年の夏に一般向けのデリバリーが開始されます。ゼニスのエルプリメロの量産はさらに遅れること4ヶ月の10月まで待たなければなりません。 写真はデュボアデブラによるクロノグラフモジュールの設計図です。

最初に自動巻クロノグラフを作ったのはどこか?その13

さて、世界初の定義がそう簡単ではなさそうだということは分かっていただけたと思います。 いよいよ1969年の出来事を年表にまとめてみましょう。 1969年1月10日 ゼニスがエルプリメロの試作品をスイスの特定のプレス向けに発表 1969年3月3日 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11を大々的に発表(スイス、ニューヨーク) 1969年4月 ホイヤーーブライトリングがキャリバー11をバーゼルで発表 1969年5月 セイコーがセイコースポーツファイブ6139を発売 さて、これだけ見ると、どこが一番最初に自動巻クロノグラフを作ったように見えるでしょうか? 発表の順序だけだと、ゼニスですね。ただこの時はいくつかの試作品だけでした。実際にエルプリメロが入手できるようになるのはこの1969年10月です。やはりある程度量産の目処がたたないと大掛かりなプレスイベントは出来ませんし、一般大衆の注意を引きつけるのはちょっと難しいかもしれません。 エルプリメロは、1969年に発表された自動巻クロノグラフの中では、唯一現在でも入手できるムーブメントです。これは当時のエルプリメロの開発陣の設計思想が非常によかったということを歴史が証明しているとも言えます。また、かなり高いところに設計目標を置いていたため、当初の開発に時間がかかったのも致しかたないとも言えるかもしれません。 写真はテレビアニメ、ルパン三世から。次元大介もエルプリメロを使っていました。

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