結局、北京空港から飛行機が飛びませんでした。いやー夜の10時半にキャンセルと言われてもなぁ。日本だと地上職員さんが一所懸命にいろいろとやってくれるのでしょうが、さすがは中国。やっぱり大陸はスケールが違います。結局1時間半待って荷物を取って、さらに1時間待って新しいフライトを予約しました。もちろん代替の宿泊施設や毛布なんか用意してくれるわけがないので、ホテルも取り直しです。もちろん近くのホテルは満杯です。とまあいろいろやって、やっと一段落です。いかに自分が日本に慣れきって怠惰になっていたのかを痛感します。(^^) さて、クロノグラフに自動巻機構を設けるという世界初の試みを行った時計メーカー3社が出揃いました。ゼニスそしてホイヤー-ブライトリング、セイコーです。 では次に「世界初」の定義をしましょう。これって、以外と難しいんですよね。ギネスブックが一私企業のコレクターブックなのに、あれだけ好評を博している理由の一つがここにあると思えます。つまり、「世界一」の基準をきちんと定義して比較できるようにしてあるということです。 ちょっと以前、阪神タイガースの金本選手の連続イニング出場の記録がギネスに認定されるかされないかという話題がありました。曰く、それは公平な記録であるのかどうか、日本の野球のレベルはアメリカから見ると低いのではないか、年間160試合をアメリカ中飛びまわるメジャーリーグと、年間140試合を日本で行うプロ野球とでは連続イニング出場の強度が違うのでは?などと議論があった模様です。結局認められたのですが、野球というデータがすべて公開されて公式記録として残っているプロスポーツでこれですから、クローズドな体質を色濃く残す時計業界で、誰が一番最初にある機構を考え出したのか、これを決めるのは実は思ったよりそう簡単でもないかもしれません。
さて、いよいよモジュールメーカーのデュボア・デブラの出番です。 この会社はいまではモジュールメーカーとして不動の地位を占めています。ブライトリングやジャガールクルト、パテックフィリップ、ロレックス、オーディマピゲ、リシャールミルなどありとあらゆる有名メーカーにモジュールを提供しています。得意とするのはカレンダーモジュールと、クロノグラフモジュールです。APのロイヤルオークオフショアのモジュールはこのデュボア・デブラの仕事です。 会社の創立は1901年まで遡れます。デュボア・デブラは当時からクロノグラフなどの複雑機構を得意としていました。現代のクロノグラフ(ストップウォッチ機構つきの時計)の原形は、1862年のロンドン博覧会で発表されたアンリ・フェレオル・ピゲ(Henri-Fereol Piguet)というのがおそらく正しいでしょう。ゼンマイの動力源(香箱)は一つで、ストップウォッチの動作中に時計の動作が止まることはありませんでした。そしてブライトリングによる腕時計型クロノグラフの開発は1915年とされていますから、1901年のデュボア・デブラの創設時はまさにクロノグラフの開発が発展途上だったころと重なっています。 そのデュボア・デブラは1960年代当時はホイヤーと密接な関係にありました。ホイヤーのキャリバー7700のストップウォッチはデュボア・デブラの仕事です。他にはモンテカルロストップウォッチ(7714)のモジュールもデュボア・デブラです。 こうしてデュボア・デブラは、ビューレンによる薄型の自動巻きをベースとしたクロノグラフ用のモジュールを一から開発するという、このプロジェクトで一番難しい個所を担当することになります。このグループの自動巻きクロノグラフの開発競争は、ほぼデュボア・デブラ次第ということになったわけです。
さてホイヤーーブライトリングというスポンサー連合が結成され、薄型の自動巻モジュールもビューレンからの新作で目処が立ちました。あとはクロノグラフモジュールです。 クロノグラフというのは、簡単に言うとストップウォッチです。いまだと100円ショップで売ってますので、どんなに難しかったのか、ちょっと感覚として分かりにくいですね。ただ、現在のような仕組みがない時代、たとえば昔のオリンピックでの計測は大変でした。人間が手でスタート、ストップを押していたので、人によってばらつきがでます。そこで10人程度で計測して、その平均を公式記録とするなどの方法がとられていました。 その他の社会的な要請としては、当時歴史的な発達を遂げた航空界などもありました。時速1000Kmで飛んでいると、1秒で280mも移動してしまいます。 50年代、クロノグラフは、このようなプロフェッショナル用途から一般の腕時計への展開がはじまっていました。1960年代にはブライトリングはアメリカで5万ドル(現在の価格で約400万円、物価が10倍として4000万円)を投じたキャンペーンを展開、007のサンダーポール作戦ではショーン・コネリーの腕にもブライトリング トップタイムがはめられました。 さて、この計時機能ですが、計時する時は、本体の時計部分から動力を分けてもらいます。これは動力元のゼンマイからいうと、動かすべき歯車が増えることになります。そのために精度が落ちては計測の精度が落ちてしまいますので、このクロノグラフモジュールの設計には、本体部分をきちんと理解した上で、限られたスペースに複雑なモジュールを設置する必要がありました。
まずはベースとなる薄型自動巻のムーブメントを提供したビューレン(Burnen)から見ていきましょう。いまはもう名前のないメーカーですが、1873年創業の歴史あるメーカーであり、当時は高い技術力を持っていました。特に薄型の自動巻のムーブメントに定評があり、世界で最初のマイクロローター自動巻の特許を1954年に取得しています。 自動巻きという機構は、人間の腕の上下動を回転する動きに変え、それによってゼンマイを巻き上げる機構です。ところが人間の腕の上下動は実は思ったほど大きくなく、勢いよく回転させるために、大きく重い回転ローターが使われるのが常でした。しかしこの場合、回転ローターの分だけ、ムーブメントは厚く、重くなります。 ビューレンの開発した方法は、小さい(マイクロ)回転ローターによって、自動巻きを行うものでした。この場合、ムーブメントは薄く、軽くできますが、ゼンマイの巻き上げ効率をきちんと確保することが必要になります。このマイクロローター技術で一般的に有名なのはユニバーサル・ジュネーブですが、ユニバーサル・ジュネーブも、当時はビューレンとの特許紛争に敗れ、ビューレンにライセンス料を支払っていました。 これが、モジュール型のクロノグラフを開発しようしていたホイヤーブライトリングの目に止まります。ホイヤーは、1950年代後半からモジュール型の自動巻クロノグラフを構想していたといいます。そして1962年、ビューレンの新しいマイクロロータームーブメント、キャリバー1280がリリースされます。これは厚さわずか 3.2mmのムーブメントでした。
さて、ブライトリングーホイヤー連合の簡単な紹介をしましたが、では肝心のムーブメントはどこが作るの?と思ったあなた、あなたはかなりの時計通ですね(^^) 当時から、スイスの時計産業は高度に分業化されていました。ダイヤルや針、ムーブメント、ケース、追加モジュール(カレンダーやクロノグラフ機能)、このそれぞれについて、それぞれを専門で作るメーカーがいます。時計の心臓にあたるムーブメントでいえば、ホイヤーのクロノグラフはバルジュー社のムーブメントを使っていましたし、ブライトリングではヴィーナス社のムーブメントが有名です。 この連合の最初からのアイディアは、マーケットへのリリースを最優先し、薄型の自動巻きムーブメントにクロノグラフのモジュールを載せるというものでした。そこで以下を採用しました。 薄型の自動巻きムーブメント…ビューレン(Buren)によるマイクロローター自動巻きムーブメント クロノグラフモジュール…デュボアデブラ(Dubois Depraz)によるモジュール ビューレンというメーカーは今はもうすでにありません。一方、デュボアデブラは、モジュール専業メーカーとして現在もその存在感を増しています。 次からこのそれぞれについて見ていければと思います。
さて、次はブライトリングーホイヤー連合について紹介をしましょう。 ブライトリングーホイヤーは、時間の計時機能を装備した、クロノグラフを主力とする時計メーカーのなかでは本命でしょう。 ブライトリングは航空時計で有名です。初めて回転計算尺をベゼルに装備したクロノマット(1942)、それを航空時計に応用したナビタイマー(1952)はあまりに有名ですね。 一方、ホイヤーはレース界で有名でした。モナコやカレラ、オータビアなど有名ですね。ホイヤーはクロノグラフに注力するために50年代後半は通常の自動巻のラインを生産終了にしていました。 ところで、彼らは完全な競合会社でした。双方ともにクロノグラフを主力とするメーカーで、完全にラインアップが重なっています。その両者が手を組むことになるのは、やはり新製品開発のコストの問題でした。ブライトリングやホイヤーといえども、一社だけで数年はかかる新しい自動巻クロノグラフを支えるのは簡単ではなかったのです。 当時のジャック・ホイヤーはウィリー・ブライトリングにこう持ちかけたとされています。 「ホイヤーは、アメリカとイギリスで強い。しかしヨーロッパ大陸では弱い。ブライトリングはイタリアとフランスで強い。けれどもアメリカとイギリスではそう目立たない。両者ともに自動巻クロノグラフが必要だ、しかし、どちらとも一社だけで開発するのは難しい、ここで手を組むのは完璧なソリューションなのじゃないだろうか」 こうやってブライトリングーホイヤー連合が誕生しました。特筆すべきは、当初から彼らはターゲットのマーケットを明確に意識していたという点です。 写真は50年代後半のブライトリング ナビタイマー1st、ref.806です。
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