さて、本物の価格は本当に高いのか、それを検証中であった。 前回、時計の価格は下がっているのではないかという検証を行った。それをもう少し分かりやすくしてみたい。以下に、自動車および腕時計の物価指数を総合指標で正規化した図を示す(2015年=100)。 この図は、ある一般物価に対して、2015年と比較して、過去どのくらい割高/または割安と感じていたかおおよその感覚を示していると考えることができる。例えば自動車の場合、1970年当時は、今と比較すると200%、つまり倍くらいと感じていたということが言えるだろう。腕時計の場合は同様に3倍程度と感じていたと考えることができる。 1970年というのはクォーツ革命の翌年であり、まだクォーツ時計はさほど普及していない。つまり、この1970年の時計価格はほぼ機械式時計の価格であり、2015年度の統計はクォーツ時計の価格ということになる。そしてこの二つを比較してみることにより、時計の価格感覚は1/3になっているいうことができそうである。世の中で信じられている通り、1969年のクオーツ革命は明らかに時計の価格を下げたのである。 ところがこうなると、時計の価格が下っているのにもかかわらず、「本物の価格が高いから買えない」という人が増えている、ということになる。どうも変ではないだろうか。 今回の時計はオーデマ・ピゲの当時世界最薄のパーペチュアルカレンダー自動巻モデルである。1978年、クォーツショックの真っ只中にリリースされたオーデマ・ピゲの意欲作で、ジャガールクルトの名作キャリバー920をベースにしたムーブメントは、パーペチュアルカレンダーかつ自動巻でありながら厚さ 4mm を切っていた。本個体は、2019年のAPのイベントで展示されていた個体である。
お久しぶりです。 昨年は転職したり引越したりその他もろもろありまして、ブログも休載状態になってしまっておりました。ぼちぼちと再開していければと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 ではでは気をとりなおして、機械式時計はなぜ動くのか、その2に行きたいと思います。世の中に機械式時計の仕組みを解説しているブログは数あります。すばらしいブログも多いと思いますし、筆者もかなり参考にさせていただいております。いつもどうもありがとうございます。 まず、なぜわざわざ、それでもなおかつ屋上に屋根を架す気になったのか、それはですね。機械の機構解説の書籍、ウェブはめっちゃあります。ただ、機械式腕時計はなぜこんなに正確なのか、そういう観点から書いている資料ってあまりないと思うのです。 まあそれはそうかもしれません。制御理論が確立するはるか以前から時計に関する技術書は著されているのですから。現代のいわゆる機械式時計の仕組みとして重要なヒゲゼンマイの発明は17世紀にホイヘンスによってなされたと言われています。これは、かれこれ400年以上前の出来事です。つまりは、時計のメカニズムとしての発達は、他の産業と比較して非常にゆっくりで、堅実なものです。しかしその一方で、それをとりまく環境、例えば航空機や携帯電話、制御に関する理論などは飛躍的な進歩を遂げました。 せっかく現代に住んでいる我々ですから、理系の大学一年生程度が分かる程度の制御理論を使って時計の動作を解説してみたいと思うのです。さあて、私にできるのでしょうか。まあ間違いを恐れずに!頑張っていきたいと思います。
針飛びについてずっと稿を続けていますが、今少しこの稿を続けます。だいたい数十万円するような時計にこのようなことがあっていいものでしょうか。でも、これが実はかなり頻繁にあります。百万円を超える時計ですらそのようなことがあります。ということはつまり、この現象はかなり機械的時計にとっては普遍的な現象です。私には、このメカニズムは、機械式腕時計のかなり本質的なところの一つだと思えています。 すこし視点を変えてみましょう。 そもそも機械式腕時計の秒針は、6時位置、または9時位置などの小さなダイヤルの中で控えめに回っていました。当時はほぼ誰も秒までの正確性を気にする人はいなかったことでしょう。ところが時代の要請で、秒単位をきちんと計測する必要がでてきました。クロノグラフの計測用の秒針は、視認性の確保のために中央を軸に大きく回転します。通常の時計でも、センターセコンドと呼ばれる秒針がセンターを中心に大きく回転するタイプの時計が出てきました。これに対して6時位置、9時位置で控え目に秒針が回転するタイプの時計はスモールセコンドと呼ばれるようになります。センターセコンドという時計が出現してきたからこそ、以前の時計はスモールセコンドという分類に押しやられてしまうことになったといってもいいかもしれません。 スモールセコンドとセンターセコンドの時計を並べてみます。左が30年代ロンジンのチェコスロバキア軍用のオリジナル、右は70年代以降のロンジンフラッグシップです。この二つには秒針位置の違い以外にも重要な違いがあります。左は手巻き、右は自動巻きです。この二つの違いは、腕時計のムーブメントにとってかなり大きな違いです。チェコスロバキア軍用の中心軸には、時針用と分針用2つの回転軸しかありません。それに対して新しいフラッグシップでは、時針用と分針用、秒針用、自動巻のローター用と4つの回転軸が中心軸に集結します。
腕時計の針飛びについて、もう少し考えてみます。これは実はけっこう面白い話題かもしれません。まず、一口に腕時計といいますが、おおよそ大別して次の三つの流れがあるように思えます。 貴族が使っていた、高級宝飾品としての系譜。 実用時計としての系譜。腕時計が初めて使われたのはイギリスのボーア戦争だと言われています。正確な時間を知るというのは軍隊では生死にかかわる重大時です。当時は一般の兵士にまでは時計はいき渡らず、時計を所持していたのは士官のみでした。 汎用品(コモディティ)としての系譜。クオーツ登場以降、腕時計のコストが革命的に下落してからの系譜。使い捨てをしたほうが精度もコストもリーズナブルであるということで生まれたディスポーザルウォッチの系譜。 やはり時代とともに、「時を知る」という営みはコモディティとしてありふれたものになってきています。現代では正確な時を知るためには、時計ではなく携帯という方も多いことでしょう。かく書いている筆者も、電車のホームで、クオーツ時計の時間に自分の左腕の時計の時間をあわせたりしています。 ところで身の回りのどんな時計でも、「時刻をあわせる」、さほど頻繁ではないにしても、これは必須の作業です。その必須な作業をするときに針がジャンプしてしまう、これはなかなかストレスフルですよね。実用時計や汎用品(コモディディ)でこのような動作を起していたら、毎日使うのはちょっと辛くなるかもしれません。しかしその一方で高級品としての時計、毎日使うことを想定されていない時計の場合は、まあ我慢できるかもしれません。つまりは時計でいう高級時計、宝飾時計は、必ずしも実用的な価値に優先順位をつけて開発されているというわけではない場合があるということでもあります。針飛びという現象だけではなく、防水性能を見てみても、そのことは分かるかもしれません。
もう少し針飛びの話を続けましょう。前々回で少し書いたのですが、なぜ針飛びというのが起きるのでしょう?実は、ほとんどの手巻きのヴィンテージ時計には、針飛びという現象は見られません。針飛びという現象は、自動巻機構を内蔵した、比較的新しいムーブメントに多いのです。 機械式時計は、ゼンマイを動力として動きます。そして、歯車が規則正しく動いて時刻を表示します。ごく昔は時計を持っているのは一部の貴族のみで、庶民は教会の鐘の音で時刻を知っていました。それが、携帯できるよう腕時計という形になった当初でも、ゼンマイに手で巻いて動力を与え、時分秒が分かれば、それで御の字でした。しかし、時と共にいろんな機構が追加されるようになります。 秒表示: 6時位置のスモールセコンドではなくセンターセコンド ゼンマイの巻き上げ機構:手巻きではなく、自動巻 日付表示 曜日表示 クロノグラフ 第二時間帯表示(GMT) 日付のクイックチェンジ ムーンフェーズ … クォーツのデジタル時計でしたら、それに相当するプログラムを書くだけですので、これらの機構はすべて比較的簡単に実現ができます。一方機械式時計の場合、これらの機構は、それぞれ別の機械的な仕組み、歯車やバネ、レバー、コラムホイールなどの仕組みで実現する必要があります。これには物理的に面積が必要になります。その一方で、時計の大きさというのはある程度決まっていますので、設計のターゲットが、どのようなケースに入れるのか、どのような機能を実現するのか、量産機なのか高級機なのかによって変わってきます。 機械式時計の面白いところがまたこのあたりにあります。値段が高いから、故障も少なく頑丈というふうにいちがいには言えない、ということです。逆に値段が高い高級機の場合、量産される数も少なく、皆が皆使うというわけではなく、大事に使ってくれることを前提としており、普及期よりも華奢な場合があります。高級なドレスウォッチで30m防水というのはよくある仕様です。一方で2万円程度で入手できるセイコー5は基本的には100m防水です。どちらがいいということではなく、これはそれぞれの設計ターゲットがそもそも違うということなのです。
機械式時計の位置づけ、構成要素、工業製品としてのデザイン上の制約、幅広い製品ラインアップまでを駆け足で見てきました。そういう、ある制約に基づいて作られた工業製品、機械式時計。そういう製品のどこがいいんでしょうか?それをもう一度検討してみます。 まず、いい、悪いを決めるというのは、簡単な話ではないです。いい、悪いというのは絶対的な判断基準ではなく、相対的な価値観です。AはBと比較していい、ということはいえますが、Aは絶対的にいい、Bは絶対的に悪い、ということはできません。 モノの価値を決めるのは人間ですから、ある人が「これはいい」といえば、それはそれでいいモノである、といえます。判断基準となる好みは人によって千差万別です。ロレックス デイトナがいいとおっしゃる方もいらっしゃるでしょうし、パテックフィリップの名作Ref.96がお好きな方もいらっしゃるでしょう。また、セイコー5がいいという方もおられるでしょう。 次に、いい、悪いの比較対象です。現代のわれわれはきっと「機械式時計」という場合、比較対象としてクォーツ時計を思い浮べると思います。「時間を知るだけだったら、ケータイでいいじゃん」「クォーツが正確だし、わざわざゼンマイ巻かなくていいし、なんでローテクの機械式時計?」まったくおっしゃる通りです。そこで、少しクオーツ時計について見てみることにします。 クオーツ時計は、一日に10秒程度は誤差がある機械式時計と違って、その誤差は一カ月で10秒程度におさまります。ざっと30倍は精度がいいことになります。また耐衝撃性も高いです。機械式時計は、テンプが一秒間に数回の往復運動をすることで一定の時間を刻みます。この部分が、どうしても衝撃に対しては弱くなります。クオーツ時計の場合、一定クロックを生成するのは水晶の固体振動子になりますので、衝撃に対して強くできます。そしてクオーツ時計は電子機器ですので、部品点数は機械式時計に対して少なくできます。100以上の部品を必要とする機械式時計に対して、おおよそ約半分の部品数で構成されます。しかも、電池式ですからいちいちゼンマイを巻き上げなくても、使いたいときに使えます。精度はいい、衝撃にも強い、使い勝手はいい、しかも電子機器ですから安価です。ここまで揃っている時計があるのに、なぜ機械式時計がいるんでしょうか。 実際にクオーツ腕時計の発明の結果、1970年代には機械式時計は絶滅寸前まで追い込まれてしまいます。1969年、ゼニスは、自動巻きクロノグラフとして有名なエルプリメロを発表しますが、そのわずか3年後には、アメリカのラジオメーカーに買収され、機械式時計の生産中止を言いわたされることになってしまいます。
ナイジェリア詐欺、自動巻クロノグラフの黎明期と見てきましたが、ここらあたりで、機械式時計がなぜ必要なのか、どこがいいのか、私なりの見解をまとめておきたいと思いました。「時間を知る」という機能に限っては、かつてこれはかなり難しい専門家の仕事でしたが、現代ではもう機械式時計は不要です。携帯は誰でも持ってますし、そこらじゅう時計であふれています。機械式時計をつけていても、正確な時刻は携帯で見るという人もいます。 数万円も出せば立派なクォーツ時計や携帯が買える現代、それ以上、場合によってはその数倍~数十倍の金額をかけても入手したいもの、それはいったいなんなのでしょう? 一言でいえば、ラグジュアリー、不要不急の贅沢品がなぜ必要になるのか、という疑問に置き換えることができると思いますが、どうも人は機械式時計にある種類の夢を持つことがあるようです。ある人は、男にとってほぼ唯一の身につけられるアクセサリーだから、といいます。またある人は、腕時計をつけるのは宇宙を腕につけるのと同じことだ、といいます。とあるブランドのCEOは、ラグジュアリーとは砂漠における一杯の水だ、と書いてました。表現は違えど、どうもこれらの方々は、機械式時計は不要不急の贅沢品などではない、ある種類の人間の生存に必要な何かを満たしているのだ、と言いたいようです。かくいう私も時計を忘れてしまうと、かなり何か物足りない感じがしてしまいます。 写真はクロノグラフの最高峰の一つ、ロレックス デイトナ。1999年ごろのものです。ムーブメントには、ロレックスが徹底的にチューンしたエルプリメロを搭載しています。
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