仕上げの話、続きます。ここでいう仕上げとは、職人による磨き工程のことを言います。人の手による仕上げ工程および検査工程を経ることで、時計はいっそう工芸品としての価値を増します。 人間の五感というのは、ものすごい繊細なものです。一番分かりやすいのは視覚ですね。いま、昔のアナログTVを見ると、その解像度の低さに唖然とすることは間違いないでしょう。最先端ではハイビジョンより解像度の高い、4000×2000(4k2k)の解像度のTVなども実用化されようとしていますが、すごいのはそのTVよりもその違いを認識できる人間の目だと思います。触覚もすごいです。町工場の金属職人は、ミクロン単位(1000分の1ミリ)で平面を出せる人がいたといいます。 そういう、鍛えられた目と手を持つ職人によって、時計は仕上げられます。一流の職人の手間がかかっていればいるほど、繊細できれいな仕上げになります。そして、人の手間がかかっていればいるほど、時計は量産が難しくなり、工芸品となっていきます。 その昔、時計が限られた人たちのものだった時代、時計はその見えない部分ムーブメントの部品一つ一つまで職人によって丁寧に磨かれていました。一つには、ムーブメントの美観というのもあったのでしょうが、実用的な意味もありました。工作精度も今のようではなく、部品一つ一つを磨いて噛み合わせを調整する必要もあったのでしょうし、一つ一つの部品を磨くのと磨かないのとでは、摩擦係数が違い、精度が違っていたのではと思えます。また40年代以前、当時のスチール製のゼンマイは今よりはるかに切れやすく、ゼンマイから出力されるトルクを均等に使うためにも、その負荷である歯車やその機構を磨いて調整するのは意味があったのでしょう。 今では当時ほどの意味はないでしょうが、やはり最終工程で職人の手を経ることによって、完成度は上がります。 画像は、友人のパテックフィリップの年次カレンダー5205です。今度は側面からです。側面から見ると、ケースの仕上げの良さがまたよく分かります。上方に絞ったベゼル、一部の隙もなくまるで一体成形してあるかのようなケースへの接続。ケース側面の柔らかい鏡面仕上げ。また、この5205はラグに特徴的な仕上げがしてあります。パテックフィリップはすべてのケースを鍛造(素材を型で抜いて圧力をかけ、熱処理という工程を繰返す製法)で作ります。これは量産に向いた方式で、パテックでは今まで作ったすべてのケースの型を保存しているそうですが、このラグ部分は鍛造工程後にさらに削り出し工程で行っています。そして最後に職人よる磨き仕上げ工程を経て、このようなケースが出来あがります。
機械式時計の位置づけ、クオーツ時計との比較、実用時計とコレクション時計と見てきまして、ようやく本題に近づいてきました。機械式時計のどこがいいのか、今回からのテーマは「外装や機械の仕上げ」です。「仕上げ」とは一言でいえば、職人が手間暇をかけてモノを磨き上げる工程、といってもいいでしょう。腕のいい職人が丹精こめて磨き上げた品物は、時計であれ靴であれ器物であれいいものです。いいモノを身につけると、気分まで変わってきますよね。 ところで、いいモノにするために職人が手間暇かけることができるには、何が必要でしょう?まずはその職人の基礎的技量、その技量を磨く年月がなければ、モノになりません。しかしながら、職人が修行できるそのためには、そのモノが世の中に受け入れられ、ある一定程度、常に需要があること、つまりお客が必要です。 いくら優秀な職人が長年修行しても、それが世の中に認められず、作品が二束三文でしか売れないとなればその職人はおそらく廃業するしかないでしょう。職人は芸術家とは違います。お客あっての職人です。芸術家 というのは、認められようが認められなかろうが、売れようが売れまいがおかまいなしに自分の好きなことをただひたすら追求する人たちのことでしょう。一方、職人は、そのモノが常に一定の需要があるということを前提にして生活の糧を得ています。その仕事は細かく分業されているのが常です。 京うちわという工芸品があります。比較的廉価なものもありますが、最高級のものは、扇ぐというよりは飾って清涼感を演出するためのものです。柄の部分とうちわ本体は別体式になっており、うちわ部分は細い繊細な竹で骨組が組まれ、透けて見える骨組のその上に花鳥風月の彩を添えています。高級なものは8万円以上します。竹の骨をつくる竹職人、団扇を張りあわせる職人、細工職人などによる手作業の連携で、出来上がりに一年以上かかることもあることを考えると、その値段もまあ納得です。画像は京うちわ阿以波さんからです。 腕時計の世界もやはり職人の分業化が進んでおり、ムーブメントの専業会社、モジュール会社、針を作る会社、文字盤を作る会社、ガラス会社、ケース会社などに細かく分かれてそれぞれの腕を競っています。 腕時計の場合、特にムーブメント製造部門を持つ時計会社のことをマニュファクチュールということがあります。もちろんムーブメントは、時計の主要な部品です。しかし、時計の生産には他にも多くの部品が必要で、マニュファクチュールといえども、多くの協力会社の存在を抜きに時計は生産できません。ムーブメントの主要部品、ヒゲゼンマイは ニヴァロックス社製であることが多いですし、ロレックスのサファイアガラスは日本製です。 画像は、パテックフィリップの年次カレンダー5205です。これは私の友人の所有です。年次カレンダー以上になると、パテックのケースの仕上げは明らかに群を抜いています。特にケースの曲面仕上げが素晴らしく、面と面の接合がきちんとしており、まったく隙がありません。
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