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ジェンタ特許を読む その3

閑話休題。 1972年という、時代背景を考えておきたい。 1972年は、西暦でいうと何だか格好いいが日本でいうと昭和47年である。昭和44年7月、アポロ11号が月に着陸。12月、セイコーが世界初のクオーツ腕時計を発表。昭和46年、戦後のいわゆるいざなぎ景気が終わり、昭和47年にはNHKのカラーTV契約数が白黒TVを上回っている。その頃の話である。 この頃、時計業界ではいわゆるクォーツ革命の影響が見えはじめていたとされている。ただし、まだそれは誰の目にも明らかといえるほどのものではなかったであろう。 昭和44年当時、セイコーは、クオーツ・アストロンを世界にさきがけて発表した。それはたしかに素晴しい栄誉ではあった。だがアストロンという製品自体は、その量産によって直ちに利益を得られる製品では到底なかった。昭和46年に量産が開始された38クォーツによって、ようやくセイコーは先行者利益を得られるようになってきたものの、それでも当初のクォーツ時計のシェアは微々たるものであった。クォーツの発表から5年後の昭和49年(1974年)でさえ3%程度であり、その生産数は電磁テンプ、音叉式などの他の電池駆動方式と同程度のものでしかなかった。(参考: 日本の時計産業概史 ) 翻ってスイス時計産業は、同じ昭和49年(1974年)に当時の出荷額のピークを記録している。音叉式や電磁テンプ方式などが60年代から存在しており、電池駆動の時計自体はさほど珍しいものでもなかったし、スイス時計産業もその威信をかけてクォーツ腕時計の開発を行っていた。 そうした時代の中で、オーデマピゲは、1971年に、金無垢の時計よりも高価なステンレススチール製の機械式時計の計画を着々と進めていたということになる。(画像はウェブクロノス ジェラルド・ジェンタの全仕事 より引用)。

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