Wristwatchな世界

腕時計とそれを取りまく世界 Since Apr 2012

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ジェンタ特許を読む その3

閑話休題。 1972年という、時代背景を考えておきたい。 1972年は、西暦でいうと何だか格好いいが日本でいうと昭和47年である。昭和44年7月、アポロ11号が月に着陸。12月、セイコーが世界初のクオーツ腕時計を発表。昭和46年、戦後のいわゆるいざなぎ景気が終わり、昭和47年にはNHKのカラーTV契約数が白黒TVを上回っている。その頃の話である。 この頃、時計業界ではいわゆるクォーツ革命の影響が見えはじめていたとされている。ただし、まだそれは誰の目にも明らかといえるほどのものではなかったであろう。 昭和44年当時、セイコーは、クオーツ・アストロンを世界にさきがけて発表した。それはたしかに素晴しい栄誉ではあった。だがアストロンという製品自体は、その量産によって直ちに利益を得られる製品では到底なかった。昭和46年に量産が開始された38クォーツによって、ようやくセイコーは先行者利益を得られるようになってきたものの、それでも当初のクォーツ時計のシェアは微々たるものであった。クォーツの発表から5年後の昭和49年(1974年)でさえ3%程度であり、その生産数は電磁テンプ、音叉式などの他の電池駆動方式と同程度のものでしかなかった。(参考: 日本の時計産業概史 ) 翻ってスイス時計産業は、同じ昭和49年(1974年)に当時の出荷額のピークを記録している。音叉式や電磁テンプ方式などが60年代から存在しており、電池駆動の時計自体はさほど珍しいものでもなかったし、スイス時計産業もその威信をかけてクォーツ腕時計の開発を行っていた。 そうした時代の中で、オーデマピゲは、1971年に、金無垢の時計よりも高価なステンレススチール製の機械式時計の計画を着々と進めていたということになる。(画像はウェブクロノス ジェラルド・ジェンタの全仕事 より引用)。

ジェンタ特許を読む その2

次に分かるのは、本特許は最初に1971年12月6日にスイスで出願されているということである。これが「優先日」であり、「どちらが先に発明したか」という議論になったときにこの日付が議論のベースとなる。その後アメリカ出願が1972年10月30日、アメリカで審議され、公開されたのが1973年9月4日ということになる。 この日付はけっこう重大である。特許をとるには発明をしなくてはならず、発明にはそれが発明と認められるための要件がある。いわく、 1.自然法則を利用していること 2.技術的思想であること 3.創作であること 4.高度であること 参考(特許法第2条) いくらアイデアが良くても「こんなんあったらええのにな」だけでは発明とはいえない。発明であるためには、そのアイデアが技術的に検証され「動く」こと、その仕組みが分かれば誰でも作ることができる創作でなければならない。また特許には、出願するにも維持するのにも費用がかかる。オーデマピゲといえども、この新規アイディアを検証せずに特許出願することは考えにくい。 ということは、この1971年12月までにはこの特許のコンセプトは試作を終え、所望の機能を充たす技術的検証がほぼ完了していたであろうということになる。これはロイヤルオークの発表のわずか4ヵ月前のことである。スイスのバーゼルにてロイヤルオークが発表されたのは、1972年4月15日のことであった。

ジェンタ特許を読む その1

今回から、ジェラルド・ジェンタのロイヤルオークの特許について読みこんでみる。USPTO(米国特許商標庁)の ウェブページ から検索することで原文にあたることができますし、内容についての概略は以前にも書いていますので、お急ぎの方は、以下からどうぞ。 機械式時計のどこがいいのか その22 まずは、特許の基本情報である。 米国公開番号:3,756,017 米国公開日:1973年9月4日 特許名称: ウォッチケース 発明者: ジェラルド・ジェンタ (ジュネーブ、スイス) 権利者: オーデマピゲ S.A. 出願番号: 301,738 出願日: 1972年10月30日 優先権主張番号:17724/71 優先日: 1971年12月6日 優先権主張国: スイス これらのことから、まずこの特許は、いわゆる職務発明の形態であることが分かる。発明者はジェラルド・ジェンタだが、その発明の権利者はオーデマピゲS.A.である。権利者は、発明の権利の一切を保持し、かつ特許の登録に必要な弁理士の費用や出願費用などの一切を支出する。つまりこの発明を侵害すると、オーデマピゲから訴えられる可能性があるということになる。 ただし特許には期限がある。アメリカ特許法の期限は原則20年である。 特許法の理念は、発明の奨励によって産業の発達に寄与するという点にある。発明したとたんに模倣品が出て来てしまえば、発明者のモチベーションは落ちる。発明のために必要とした膨大な費用を回収できなくなってしまうし、発明すればするだけ損ということにもなりかねない。かといって、一回発明したものに対して永続的に権利をずっと保護してしまえば、類似品を未来永劫作れなくなってしまうことにもなり、産業の発展の阻害要因にもなってしまう。そこで特許法としては、産業の発展を阻害しない範囲で十分な保護を権利者に行うという観点から保護の範囲が定められ、各国の特許には期限が設定されている。 この特許は1973年の公開だから 1993年にはおそらく特許は切れている。 ということで、今現在ロイヤルオークに似たような形状の時計が出てきてもそうそう目くじらをたてる必要はないということをまずは付記しておきたい。  

本物のス丶メ その15

前回、前々回と日本の製造業のコストを見てきた。工場を稼働させ、原材料を最終製品にするコストはそう小さいものでもなかった。 今回は、Swatch groupの財務報告書を見てみよう。Swatchは、ブレゲ、オメガ、ロンジン、ティソといった時計業界の有名ブランドだけではく、ハリー・ウィンストンやカルバン・クラインといッた宝飾、ファッションブランドもその一員に数える一大企業である。 2019年度の報告書によると以下である。日本とは基準が違い、売上原価は記載されていないが、人件費と原材料費が記載されている。(1スイスフラン=112.2円換算) 総売上高: 924,864 (百万円) 営業利益: 114,780 (百万円) 原材料購入費: 179,520 (百万円) 人件費: 289,251 (百万円) その他の業務費用: 300,696(百万円) この内容からも比較してみると興味深いことが分かる。 セイコーの場合、原価の売上に対する比率は約6割であった。Swatchの場合、原材料購入費および人件費を合算して原価とすると、おおよそ5割となる。人件費には工場以外の人員も含まれているだろうから、おおよその目安として、Swatchの製造原価は、セイコーのそれよりも1割以上は低いと考えてもよいだろう。 Swatchは、その他の業務費用が著しく大きい。おそらくこの大部分が広告宣伝費用と思って間違いないだろう。セイコーの時計事業の売上は約1400億円であり、時計事業を含む全体の広告宣伝費に約170億円を計上している。仮にこの広告宣伝費がほとんど時計事業に使われているとすると、その割合は、売上の約1割に相当する金額である。Swatchの場合、その他の業務費用の割合が約3割にも達する。Swatchはオメガ、ロンジン、ハリー・ウィンストンといった一流ブランドをワールドワイドに展開しているから、広告宣伝費がセイコーよりも巨額を要するのは間違いない。 さて、今回の時計は、往時のOmegaのドレスウォッチ、DE VILLE である。シリアルからムーブメントは1969年製造と思われる。

本物のス丶メ その14

本物のコストは本当に高いのか。 前回、製造業の原価は意外と高そうだということを見た。では次に日本を代表する時計メーカーとして、セイコーの製造コストについて見てみよう。 2019年度の有価証券報告書によると以下である。 総売上高:  247,293 (百万円) 売上原価: 150,955 (百万円) 販売費および一般管理費: 86,943 (百万円) うち広告宣伝費 16,905 (百万円) 設備投資: 5,029 (百万円) 約2500億円の売上高に対して、工場を稼働させて原材料を加工し製品を製造するためのコスト、売上原価が約1500億円。販売にかかる一般管理費が約870億円、このうち広告宣伝費が170億円程度。設備投資が約50億円。前回のPanasonicの総売上高が8兆円だから、売上規模は大きく違うが、比較してみると興味深いことが分かる。 セイコーは。広告宣伝費の売上高に占める比率がPanasonicよりも著しく大きい 。同じ金額を売り上げるのに5倍以上の広告費をかけている。 原価の売上に対する比率は、セイコーが一割程度低い 。 Panasonicは、設備投資の総売上高に対する比率が高く、セイコーの二倍近い。 セイコーは、ウォッチ事業以外にも電子デバイス事業など他の事業も展開している。ウォッチ事業の売上は、5割強であるからあくまで総括的な傾向であるが、やはり贅沢ブランドを含む企業体は広告宣伝費が大きく、原価が低く、設備投資も若干低い傾向にありそうだということが分かるのではないだろうか。 今回の時計は、ホイヤーコルティナ。ホイヤー=ブライトリング連合による自動巻クロノグラフキャリバー、クロノマチックを搭載する1977年の作品だ。  

本物のス丶メ その13

この時計はコスパがいい、という言い方をすることがある。 このコストについてだが、時計の場合は、原材料費に加えてその加工のための費用が必要である。それ以外にも、工場の設備の維持・更新のための設備投資が必要になる。 ではそのコストは一体どのくらい必要なのだろうか。時計の例に入る前に、日本の製造業代表として、まずは Panasonic さんにご登場いただこう。2018年度の有価証券報告書によると以下である。 総売上高:  8,002,733 (百万円) 売上原価: 5,736,234 (百万円) 販売費および一般管理費: 1,939,467 (百万円) うち広告宣伝費 97,600 (百万円) 設備投資: 3005億円 上高8兆円に対して、工場を稼働させて製品を作るための原価が5兆7千億円。作った製品を販売するための営業、広告、間接部門にかかる費用が1兆9千億円。工場への設備投資が3005億円。さすがに日本を代表する製造業だけあって売上高もそれにかかる費用も桁が違うが、いずれにしても製造業の製造コストは決してそう低いものではないというのがお分かりいただけるのではないだろうか。 今回の時計はオメガスピードマスター MarkV。自動巻のオメガ1045を搭載したドイツモデルである。          

本物のス丶メ その12

さて、手間がかかっているから高いとされる贅沢ブランド品の製造コストはどのくらいと読みとれるのだろうか。 時計の製造メーカーは、製造業に分類される。その製造業としての必要なコストをここでは大きく以下に分類したい。 工場を維持、稼働させるためのコスト。原材料を購入して、その工場設備を稼働させれば製品が出来上がる。 出来上がったその製品を販売するための営業や広告宣伝、間接部門のコスト 次世代製品の研究開発コスト。次世代の製品こそがその企業の将来を決める。 工場への設備投資コスト。設備は老朽化する。設備投資の止まった工場に未来はない。 とくに大規模な製造設備を有するメーカーにとって、原材料費はその一部にすぎない。メーカーが、これらすべての投資を回収して、次世代製品のための研究開発を続けためには、現行製品の販売によって適正な利益を産み出す必要がある。 さて今回の時計はロンジンのヴィンテージ、ウルトラクロン。ロンジンは、スウォッチ・グループの一員として、良質かつリーズナブルな時計を市場に提供しているが、時計業界の中でも屈指の長い歴史を持つメーカーだ。本モデルには、クロノメーター規格の自社製ムーブメントが搭載されている。    

本物のス丶メ その11

さて「買えないほど高い」と言われている贅沢ブランド品だが、買うのが不可能とはいえないにしても、やはり高額品といわれる部類に入る贅沢ブランド品も多いということは分かった。 では次に、コストに対しての価格設定を検証しよう。 贅沢ブランド品は、作りが違う。材料もいいものを使っているし、職人の工数もかかっているとよく言われる。それはそうであろう。そして職人の人件費や材料費、広告宣伝費など、製作および販売コストが相応にかかっているのであれば、その販売価格は「高い」といってもそれが適正価格であるといえるのではないだろうか。 これを検証するために、贅沢ブランドの財務状況を参照してみよう。また、コストが高いか適正か判断しようとするのnであるから、比較対象も必要である。そこで、贅沢ブランドの代表として、 LVMH (モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン グループ)、Swatchグループ、日本代表としてはセイコー、あとは他業種からApple、Panasonicなどをピックアップして比較考察を行ってみたい。 今回の時計はオメガシーマスターのヴィンテージモデル。Baby Proplofとも呼ばれることもあるダイバーモデルだ。    

本物のス丶メ その10

ようやく本題に近くなってきた。では「贅沢ブランド品」は一体全体高くて買えないほど高額なものなのかどうなのか。 これも自明な問いに思える。高いに決まっているように思える。 だが、少し待ってほしい。まずは比較が必要ではないだろうか。高額なのか、廉価なのかは比較によって決まる。「買えないほど高い」と言われている「贅沢ブランド品」であるが、その価格を比較せずに高いか安いかを決めることはフェアとはいえないであろう。そこでまずは「贅沢ブランド品」である時計ブランドの主な価格帯(定価)を以下にリストしてみよう。なお時計ブランドは他にも数多く存在するから、以下はあくまで一例である。 ロンジン 15万円~40万円 グランドセイコー 30万円~100万円 ブライトリング 30万円~100万円 オメガ スピードマスター ~70万円 ロレックス サブマリーナ ~100万円 ロレックス デイトナ ~140万円 この比較ではロレックスが別して高い。そしてロレックスの人気モデルを正規店で定価で買うのはかなりハードルが高い。だが、それ以外の時計であれば、正規店で正規品を定価または場合によっては定価以下で購入できることもある。また平行品、さらに中古品であれば二次流通店でそれ以下で本物を購入できる。このことを考えれば、決して買うのが不可能なほど高額とはいえないようにも思える。 さて今回の時計はロレックス。ロレックスは贅沢ブランドの時計のなかでも一番に知名度が高いブランドであることに異論がある人は少ないだろう。人気のスポーツモデル以外にもいい時計はたくさんあるので一本持っていれば便利に使えると思う。    

本物のス丶メ その9

さて、前回の仮説を検証していきたい。本物がごく簡単にしかもリーズナブルに入手できる日本において、高くて買えない本物というのはいわゆる「ブランド品」ではないだろうか。 自明に思える問いではあるが、答えるのは思ったよりも簡単でははない。 そもそも、「ブランド品」とは何であろうか。 パッと思いつくのが、ヴィトンやグッチ、ロレックスなどの高額品でかつ、あるキャラクターやシンボルで一目でそのブランドと分かるようにした流通品、ということになるであろうが、実はその定義はきわめて曖昧だ。英語でいうブランドには、もっと幅広い意味がある。ブランドランキングというのを聞いたことがある人もいるであろう。トヨタ、アップル、コカ・コーラもすべてブランドであるし、カシオのG-Shockも間違いなくブランドである。だが、少々高いかもしれないが、G-Shockが高くて買えないからG-Shockの偽物を購入する、などとは少なくとも筆者は聞いたことがない。 ということは、ここでいう「ブランド品」は、数あるブランド品の中でも「高額品」という定義になるであろう。しかもその「高額品」の中でもより知名度があるブランドということになる。知名度がない、例えば時計でいうと1000万円を超える値札をつけるブランドもあるが、そうしたものはマニアや超富裕層にしか需要はない。一般の人は存在も知らないし、もし見せられたとしても、時として奇抜な形状のそれらをつけたいとも欲しいともまず思わないはずだ。 英語ではそれらのブランドを通常 luxury brandとして区分する。しかし不幸にしてこの単語には現在の日本語の語彙にいい対訳がない。よく言われるのが「高級ブランド」という訳語だが、この訳語から “luxury” という単語に含まれる、「贅沢な、豪華な」という意味をとるのは困難であろう。「アップルは携帯電話の高級ブランドである」と日本語で書いても特に筆者には違和感はない。一方、英語で “Apple is a luxury brand in cell phone.”と使うとかなり違和感がある。”Why Apple is luxury?  Everybody is using it every day!” とでも返したくなる。 そこで、本連載では luxury brandの訳として「贅沢ブランド」という対訳を用いることにしたい。 今回の時計は以下。オーデマ・ピゲの薄型ドレスウォッチである。パーペチュアルカレンダーでありながら自動巻機構で薄型というこのモデルはまさしく当時の “luxury” watch であったはずだ。

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