さて、手間がかかっているから高いとされる贅沢ブランド品の製造コストはどのくらいと読みとれるのだろうか。 時計の製造メーカーは、製造業に分類される。その製造業としての必要なコストをここでは大きく以下に分類したい。 工場を維持、稼働させるためのコスト。原材料を購入して、その工場設備を稼働させれば製品が出来上がる。 出来上がったその製品を販売するための営業や広告宣伝、間接部門のコスト 次世代製品の研究開発コスト。次世代の製品こそがその企業の将来を決める。 工場への設備投資コスト。設備は老朽化する。設備投資の止まった工場に未来はない。 とくに大規模な製造設備を有するメーカーにとって、原材料費はその一部にすぎない。メーカーが、これらすべての投資を回収して、次世代製品のための研究開発を続けためには、現行製品の販売によって適正な利益を産み出す必要がある。 さて今回の時計はロンジンのヴィンテージ、ウルトラクロン。ロンジンは、スウォッチ・グループの一員として、良質かつリーズナブルな時計を市場に提供しているが、時計業界の中でも屈指の長い歴史を持つメーカーだ。本モデルには、クロノメーター規格の自社製ムーブメントが搭載されている。
さて「買えないほど高い」と言われている贅沢ブランド品だが、買うのが不可能とはいえないにしても、やはり高額品といわれる部類に入る贅沢ブランド品も多いということは分かった。 では次に、コストに対しての価格設定を検証しよう。 贅沢ブランド品は、作りが違う。材料もいいものを使っているし、職人の工数もかかっているとよく言われる。それはそうであろう。そして職人の人件費や材料費、広告宣伝費など、製作および販売コストが相応にかかっているのであれば、その販売価格は「高い」といってもそれが適正価格であるといえるのではないだろうか。 これを検証するために、贅沢ブランドの財務状況を参照してみよう。また、コストが高いか適正か判断しようとするのnであるから、比較対象も必要である。そこで、贅沢ブランドの代表として、 LVMH (モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン グループ)、Swatchグループ、日本代表としてはセイコー、あとは他業種からApple、Panasonicなどをピックアップして比較考察を行ってみたい。 今回の時計はオメガシーマスターのヴィンテージモデル。Baby Proplofとも呼ばれることもあるダイバーモデルだ。
ようやく本題に近くなってきた。では「贅沢ブランド品」は一体全体高くて買えないほど高額なものなのかどうなのか。 これも自明な問いに思える。高いに決まっているように思える。 だが、少し待ってほしい。まずは比較が必要ではないだろうか。高額なのか、廉価なのかは比較によって決まる。「買えないほど高い」と言われている「贅沢ブランド品」であるが、その価格を比較せずに高いか安いかを決めることはフェアとはいえないであろう。そこでまずは「贅沢ブランド品」である時計ブランドの主な価格帯(定価)を以下にリストしてみよう。なお時計ブランドは他にも数多く存在するから、以下はあくまで一例である。 ロンジン 15万円~40万円 グランドセイコー 30万円~100万円 ブライトリング 30万円~100万円 オメガ スピードマスター ~70万円 ロレックス サブマリーナ ~100万円 ロレックス デイトナ ~140万円 この比較ではロレックスが別して高い。そしてロレックスの人気モデルを正規店で定価で買うのはかなりハードルが高い。だが、それ以外の時計であれば、正規店で正規品を定価または場合によっては定価以下で購入できることもある。また平行品、さらに中古品であれば二次流通店でそれ以下で本物を購入できる。このことを考えれば、決して買うのが不可能なほど高額とはいえないようにも思える。 さて今回の時計はロレックス。ロレックスは贅沢ブランドの時計のなかでも一番に知名度が高いブランドであることに異論がある人は少ないだろう。人気のスポーツモデル以外にもいい時計はたくさんあるので一本持っていれば便利に使えると思う。
さて、前回の仮説を検証していきたい。本物がごく簡単にしかもリーズナブルに入手できる日本において、高くて買えない本物というのはいわゆる「ブランド品」ではないだろうか。 自明に思える問いではあるが、答えるのは思ったよりも簡単でははない。 そもそも、「ブランド品」とは何であろうか。 パッと思いつくのが、ヴィトンやグッチ、ロレックスなどの高額品でかつ、あるキャラクターやシンボルで一目でそのブランドと分かるようにした流通品、ということになるであろうが、実はその定義はきわめて曖昧だ。英語でいうブランドには、もっと幅広い意味がある。ブランドランキングというのを聞いたことがある人もいるであろう。トヨタ、アップル、コカ・コーラもすべてブランドであるし、カシオのG-Shockも間違いなくブランドである。だが、少々高いかもしれないが、G-Shockが高くて買えないからG-Shockの偽物を購入する、などとは少なくとも筆者は聞いたことがない。 ということは、ここでいう「ブランド品」は、数あるブランド品の中でも「高額品」という定義になるであろう。しかもその「高額品」の中でもより知名度があるブランドということになる。知名度がない、例えば時計でいうと1000万円を超える値札をつけるブランドもあるが、そうしたものはマニアや超富裕層にしか需要はない。一般の人は存在も知らないし、もし見せられたとしても、時として奇抜な形状のそれらをつけたいとも欲しいともまず思わないはずだ。 英語ではそれらのブランドを通常 luxury brandとして区分する。しかし不幸にしてこの単語には現在の日本語の語彙にいい対訳がない。よく言われるのが「高級ブランド」という訳語だが、この訳語から “luxury” という単語に含まれる、「贅沢な、豪華な」という意味をとるのは困難であろう。「アップルは携帯電話の高級ブランドである」と日本語で書いても特に筆者には違和感はない。一方、英語で “Apple is a luxury brand in cell phone.”と使うとかなり違和感がある。”Why Apple is luxury? Everybody is using it every day!” とでも返したくなる。 そこで、本連載では luxury brandの訳として「贅沢ブランド」という対訳を用いることにしたい。 今回の時計は以下。オーデマ・ピゲの薄型ドレスウォッチである。パーペチュアルカレンダーでありながら自動巻機構で薄型というこのモデルはまさしく当時の “luxury” watch であったはずだ。
さて前回までに「時計」の値段は下っているということが分かった。少なくとも一般的な感覚では、昭和40年代中頃から現在の令和元年くらいまでの50年に時計の価格はおおよそ1/3 になっている。昭和40年代、戦後20年を経、もはや戦後ではないと言われ各家庭にモノクロTVガ普及した時代である。そのころの時計はやはり高かったのである。 よく「本物は高くて買えないからニセモノでいい」という人がいる。 だが実際には、本物は高くなっていないのである。本物が欲しいのであれば、日本にはほんとうに様々な選択肢がある。たいていの地元には一つや二つの時計店があるし、少し出掛ければデパートや量販店がある。そこで偽物をつかまされることはまずない。 本物が欲しいのであればどこでも行って本物を買えるのこの日本において、わざわざ正規の流通ルートでは入手できない偽物をどこからか入手して、その偽物を自分の身をつけようというのであるから、価格はともかく、手間は圧倒的にかかっているわけである。 では、そこまでして「高くて買えない本物」というのはなんでろうか。 ここである仮説をたてたい。本物が簡単に入手できる日本において、高くて買えない本物というのはいわゆる「ブランド品」ではないだろうか。 次から、ではブランド品は本当に高いのか、という検証を行いたい。 今回の時計はセイコーエクスプローラとも言われる Apinist。もちろん本物である。 5
なぜ人は偽物を購入するのか、次に検証する購入のモチベーションは「本物の価格は高い」であった。 本当に「本物の価格は高い」のか、これが今回からの検証のテーマである。 まず前提条件だが、「高い」か「低い」かというのはほぼ100%主観的な判断である。その判断は人によって千差万別であり、比較対象の選択によって、どのようにも結論づけられる。そこで最初の取りかかりとして、日本国の公的な統計調査、消費者物価指数を一つの基準として取り上げたい。この指標は、年金の支給率の計算に使われ、日本銀行が金融制作における判断材料としても使う大変重要な指標である。調査の対象項目は、家計調査の結果、重要度が高いと結論づけられた項目であり、腕時計は、諸雑費、身の回り用品として調査項目に含まれている。まずはこの指標によって腕時計の価格の変遷をみてみよう。 上図が、1970年(昭和45年)から2018年(平成30年)までの48年間の調査結果(2015年基準)である。総合物価指数(図:青線)はこの期間でおおよそ3倍程度まで上がっている。比較のため自動車も抽出した(図:赤線)が、こちらは 1.6倍ほどに上昇している。その一方で腕時計の消費者物価指数はさほど変わっていない (図:黄線)。腕時計の価格は1970年から2018年までの48年間ほぼ一定であり、この間物価が3倍程度上昇したことを考えると、時計の価格感覚としては、おおよそ1/3 まで下落していると考えることができそうである。 今回の時計は、セイコーグランドクォーツ。グランドクォーツは、1975年(昭和50年)、機械式グランドセイコーの製造中止に伴ない導入された高級ラインである。月差5秒という高精度を誇り、10秒ごとの秒針停止機能(リューズを引くと、必ず秒針が00、10、20、30、40、50のどこかのインデックスで停止する)といった先進的機能を備えていた。この個体は、1976年製造の個体である。
引き続き、偽物を購入するモチベーションについて考察を続けたい。次に考察するのは以下である。 3. 社会性: 本物なんて不当に高いだけだし、偽物をつけるのはそれに対するアンチテーゼだ。 これにも一理あるかもしれない。本物の価格が不当どうかは次回以降に考えるとして、いつの時代も社会に対して反抗するのはとくにまだ社会体制に組み込まれていない若者たちの特権だ。「本当の価値はブランド(すでに確立された体制)にはない」という意見にも一見説得力があるように見える。 だが、考えてみてほしい。当たり前だが、本物がなければ偽物も存在しない。つまり偽物は、本物に付随するサブカテゴリーではあり得るが、その対立概念にはなりえない。偽物を着用することで、「内心ではそのブランドを認めています。でも買えないので偽物をしています」という主張に見えることはあっても、それを「本当の価値はブランドにはない」という主張に見せたいというのはなかなか難しいのではないか。 どうしても「本当の価値はブランドにはない」という主張をしたいのであれば、時計の場合は、リーズナブルに入手できる本物の時計をしたほうが良いかもしれない。たとえばセイコー5やオリエントなど安価で高品質な時計は日本では至極簡単に入手できる。定期的にメンテナンスすることで何十年と使い続けることができるし、販売店も多く、ラインアップも充実しているから、自分の気に入るデザインを見つけるのも難しくないだろう。これらの時計を着用して、「本物の価値はブランドにはない」という主張をすることは十分理にかなっているし、一貫性があって説得力があるように筆者には思える。 さて、今回の時計はクロノ トウキョウ。独立時計師の浅岡氏がデザイン、監修のみではなく検品まで行っている「機械式時計の入門機」。この個体は最初期ロットの CT001Gである。
さて人はなぜ偽物を入手してしまうのか、次に検証するモチベーションは以下である。 2. 外観: 本物か偽物かなんてどうでもいい。自分がカッコいいと思えればそれでいい。 これはリスクにならないのだろうか。 偽物なんて分かりっこないと思っているのかもしれない。 実はこれがけっこう分かってしまうのである。趣味の人が、趣味のモノの真偽についてある程度分かるのは当然だとしても、それ以外のバッグでもアクセサリーでも分かってしまうのである。それも日本だけでなく全世界的に分かってしまう。 筆者はかつて発展著しい中国の深圳(シンセン)地方にビジネス旅行したことがある。その時に二十歳前後の若い女性がルイ・ヴィトンやグッチといった一流ブランドのバッグを持ち歩いていることに驚いた。そこで、同行した中国人の友だちに「中国ってすごい発展しているよね。あんな若い娘があんなハイブランドの物を持ち歩いているなんて!」と尋ねた。すると彼は事もなげにこう言った「ああ、あんなの全部ニセモノさ。知ってるだろ。中国は、世界中のほとんどすべてのモノを作っているんだ。ニセモノだって作れるさ。あんな若い子が本物なんて持てるわけないよ。よく見てみなよ。」そう思ってよく見ると、何かヘンなのである。そんなハイブランドの物を持ち歩いているのに、それほど大事にしている様子がない。また服装や立ち居振舞もなんだか違う。人間の情報処理能力はすごい。一部のみではなく全体を観察することで、なんだかヘンだなぁ、と分かってしまうのだ。 つまり、偽物を着用する時に引き受けなければならないリスクとして、以下が考えられそうである。 周りから見ると「あの人ニセモノつけてる」と見られる可能性はかなり高い。とくに本物を持っている人から見るとすぐに違和感に気付く。 偽物をつけていると分かったときのネガティブイメージ。少なくともそういう人から何か買おうとは思わないだろう。営業職の人には致命的かもしれない。 今回の時計はセイコークォーツQR。往年のセイコークォーツの銘機である。セイコーについては、クォーツの発明がよく喧伝される。発明はたしかに素晴しい。しかし、それと共に素晴しかったのが当時のセイコーの特許戦略である。セイコーは特許をライセンスすることで、様々なメーカーがその新技術を使えるようにした。もし、セイコーがこの戦略をとっていなかったら、果して「革命」と言えるような速度でクォーツ革命が起きていたのかどうか。歴史にifは禁物だが、その場合はおそらく機械式時計の復興というイベントも必要なかったに違いない。
さて、人はなぜ偽物を入手してしまうのか。このことについての考察を続けたい。まずは簡単なところから取りかかろう。 1. 知らなかった。ネットで安いから買ってみたら偽物だった。 これは意外と多いのではないだろうか。筆者はもともとPC趣味だったからインターネットの黎明期からネット上の個人取引の経験がある。自己責任も注意点も十二分に分かっていると自分では思っていた。 そんな筆者でも、一度だけ偽物をネットの個人取引で購入させられそうになってしまったことがある。 ある時たまたま、当時調べていたあるブランドの時計で、これって安いな~と思う商品をオークションサイトで見つけた。そこで、出品物の画像、出品者の過去の履歴などを一通り確認し、「特に問題なし」と最高額を指定して入札した。帰宅してオークションサイトを確認すると筆者が落札していた。だが、同時になにか変だとも思った。そこで再度確認してみると明らかな偽物であった。 偽物は、販売するのも購入するのも法律違反だ。筆者としては法律違反をするわけにはいかないから取引はキャンセルせざるをえない 。しかし筆者はその偽物を一旦落札しているので、システム上は-1がついてしまう。筆者のオークション履歴にある-1がこれである。 これ以降、筆者のネット取引の自分ルールに以下の項目が追加された。 安いな~と思ったときは要注意 思い込みは目を曇らせる。普段はできるようなことができなくなる。筆者の場合、再チェックするとすぐ分かるようなことに、思い込みで目が曇っているときは気付くことができなかった。 ブランド品は、基本的には不要不急の品物である。買わなかったからといって、損することはない。 今回の時計は、ロイヤルオークジャンボ5402。六本木で行なわれていたオーデマ・ピゲのイベントで展示されていたオリジナルのA番である。
さて世の中にモノが溢れている現在、なぜわざわざ入手しにくい、しかも高価な本物を入手しなければならないのか?法律論で片付けるのは簡単だが、それではこのブログも一行で終わってしまう。そこで、まずは「なぜ人は偽物を買うのか」について考えてみたい。 偽物を購入するためには、購入する動機が必要だ。そこで、まず最初に偽物を購入する動機を考える。おそらく以下くらいではないだろうか。 知らなかった:ネットで安いから買ってみたら偽物だった。 外観: 本物か偽物かなんてどうでもいい。自分がカッコいいと思えればそれでいい。 社会性: 本物なんて不当に高いだけだし、偽物をつけるのはそれに対するアンチテーゼ。 価格および入手性: 偽物と知っていたが、本物は高くて買えないし、そもそも希少で手に入らない。 実際に偽物をつけていらっしゃる方も電車や公共の場所で散見するから、これらの何れにもそれなりの説得力があるのであろう。 そこで、これらの項目それぞれについて、それがどのようなリスクを含んでいるのか、検証を試みたい。その結果、もしも法律以外のリスクがゼロとなるのであれば、それは法律以外に人が偽物を購入する動機を規制するものは何もない、ということになるはずだ。 今回の時計は1960年代のオメガコンステレーション。時計本体はもちろん風防、ブレスレットまですべてオリジナルの逸品だ。50年以上前に作られた時計だから無理はさせられないが、それでも日差5秒程度で快調に動作している。
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