腕時計にとってブランドとは、その所有者にとっては一、二に大切なものであろう。好きなブランドの時計を身につけることで、自分っていまこれを装着しているんだ、と自己満足にひたることができる。このような装飾品として、女性には宝飾品があるが、男性にはなかなかこのような装飾品というのは見当らないのではないだろうか。 ただいくらそのような高級時計といっても価格帯でいえば、その価格はせいぜい国産の軽自動車から国産乗用車の中級クラスの価格である。ということは、ローンさえ組めば一般的な社会人であれば誰でも購入できる物品であるということでもある。しかしそれが好きな人の場合、そのお気に入りのブランドの時計をつけている満足感は、乗用車に乗っているそれよりはるかに大きい場合がある。自分のアイデンティティと言う人までいる。 たかだか時刻を知らせる機械でしかない時計に、この満足感はどこからくるのであろうか。これからしばらくは時計のブランドというものについて考えてみたい。 最近EPSONからTrumeという新しいブランドが発表された。 ウェブページからキャッチコピーを引用する。 「1942年の創業以来、磨き続けたウオッチ製造技術と、 高精度センシング技術。 エプソンが培ってきた多彩な技術を結晶し、 誕生した独創の高機能ウオッチ”TRUME”。」 この文章には少し解説が必要であろう。 1942年の創業というのは、当時第二精工舎(亀戸)が出資し、諏訪市に(有)大和工業を設立した年である。これが諏訪精工舎の起源であるとされており、EPSONは創業をこの年であるとしている。 このキャッチコピーにある通り、その後の諏訪精工舎の開発の歴史は華々しい。 国産時計として代表作となる マーベル 初代ロードマーベル 初代グランドセイコー はすべて諏訪精工舎の作であるとされているし、1969年には二つの世界初を同時に達成している。 クオーツアストロン 「世界初」自動巻クロノグラフ セイコー5スポーツ 6139 これだけ見ても素晴しいきら星のような履歴である。当時の精工舎が諏訪に開発拠点を設けたのは間違いなく大成功であった。 その上、近年ではグランドセイコーのクォーツムーブメント9Fおよびスプリングドライブを開発したのも旧諏訪精工舎の流れを組むセイコーエプソンとなっては、「磨き続けたウオッチ製造技術」を名乗る資格は十二分にあると言えるであろう。 今週の時計はロードマーベル。国産時計初の高級時計としてデビューした、まごうことなき高級時計である。
ジャック・ホイヤーは回想しています。 1969年春のバーゼルにセイコーの「社長」だった服部一郎がきて、「最初の自動巻クロノグラフ開発の成功、おめでとう」と声をかけてくれたんだ。もちろんセイコーのクロノグラフについて何も言ってなかったよ。しかし、セイコーの社長が我々の成功を認めて声をかけてくれたということは、我々がやりとげたことに対するいろんな賞賛の中でも、かなり重要な意味を持つ賛辞だったと思えるかなぁ。 どうも煮え切らないコメントです。ジャック・ホイヤーはセイコーの「社長」がいさぎよく自分たちの負けを認めてエールを送ってくれたと理解したいみたいです。ただ、3月にもう量産してたんだったら、なんで負けを認めたんだ、という釈然としないものも感じているところが、このコメントからは汲みとれます。ゼニスに関しては一刀両断、「バーゼルで我々のほうが数ヶ月進んでいることはもう確信できた」です。この落差はどこから来ているのでしょう? ここでどうもセイコーのお家の事情が顔を出しそうです。服部一郎は当時は第二精工舎の社長でした。諏訪精工舎の社長にはまだなっていません。セイコーの自動巻クロノグラフ6139は諏訪精工舎製でした。服部一郎は、諏訪精工舎の自動巻きクロノグラフのことを知らずにジャック・ホイヤーに「おめでとう」と声をかけたんでしょうか? 諏訪精工舎はすでに3月にはセイコーファイブスポーツの量産を開始しています。発売日も決まっていたと考えるのが自然です。服部一郎はこの販売計画を知らなかったのでしょうか?なぜ彼は自社製クロノグラフのことに一言も触れずにジャック・ホイヤーに「おめでとう」と声をかけたのでしょう?単なるリップサービス?それともセイコーのほうが優位に開発を進めているという自信?あるいは、ほんとにまったく諏訪精工舎の開発スケジュールについて知らなかったのでしょうか? もちろんジャック・ホイヤーがそんなセイコーのお家の事情を知る由もありません。写真は当時のジャック・ホイヤー。腕につけているのはcal.11搭載のオータビアです。
IEEEという国際的にもかなり権威の高い学会に認められたセイコーアストロンの受賞でも日本語と英語が微妙に違う、という話でした。 ここで重要なのは以下のポイントです。 英語の原文では、一般向けと明示されています。業界ではすでにクォーツ時計は使われていました。セイコーの社史にも1958年、放送局向けのクォーツ時計を商品化とあります。 英語の原文では、「量産」と「発表」とを明示的に分けています。つまり、諏訪精工舎はセイコーグループの時計を生産する会社として、世界初の時計の量産に成功しました。その発表は1969年の12月25日に行なわれた、となっています。 特にこの2.「量産」と「発表」とが分かれている点が重要です。つまりは、量産の準備さえできていれば、センセーショナルな発表の後に量産を開始、実際の「発売」は後でもいいことになります。 ところが日本語訳では、一言で、1969年12月25日に「発売」した、となっています。「発売」という場合、すでに量産は完了しており、その発表当日に量産一号を入手することができるわけです。発表前に量産しているのは当り前のことで、わざわざ量産と発表とを分ける必要はない。腕時計は量産してナンボであって、準備ができたから発表した、その日にはモノを入手できるのは当り前だよ、ということなのでしょう。 さて、この日本の常識って、世界の常識なんでしょうか?
さて世界初の話の続きです。この定義がどのくらい難しいのか、クォーツの世界初の話を例にとって検証してみましょう。 セイコーは、2004年、クォーツ式腕時計の開発で、IEEE(アメリカの電子情報通信学会)からマイルストーン賞を受賞しています。IEEEは電気、電子業界では国際的にも権威が高い学会です。その学会に認められたことよる受賞ですから、少なくとも公平な立場から見て世界的に大きなインパクトを残したと、世界から認められたということに他なりません。 ではその日本語を見てみましょう。 抄訳すると、 10年間の開発努力の末、1969年12月25日に世界に先駆けて発売した、 となっていますね。 この「発売」が重要です。ちょっと気にかけておいてください。 IEEEはアメリカの学会ですから、原文は英語です。 簡単に訳してみますと、 諏訪精工舎は、セイコーの生産会社として、一般向けとして最初のクォーツ腕時計を量産した。それは1969年の12月25日に東京で発表された。 となります。 ちょっと違うのが分かりますね。これが実はかなり大きな違いになってきます。
では最後のメーカーに行きましょう。もちろん我らがセイコーです。 セイコーは創立を1881年まで遡れます。これは明治維新からわずか13年後ですから相当古いころといえます。アメリカの時計メーカー、ハミルトンの創設が1892年と自社のホームページでアナウンスしていますから、それより10年近く古いです。同じ1969年には世界初のクオーツ式腕時計を発表して、スイス時計産業にかなり大きな影響を与えます。 世界初のクオーツ式腕時計を開発したのは、諏訪精工舎(現在のセイコーエプソン)でした。一方東京の亀戸の第二精工舎(現在のセイコーインスツルメンツ)は機械式時計に力を入れていました。セイコーは伝統的にこの二社がしのぎを削って新製品を開発してきています。実はセイコークオーツの発表の一年後1970年には第二精工舎から世界初の低消費電力CMOS ICを使ったクオーツ時計が発表されています(36SQC)。クロノグラフも同様で、諏訪精工舎がこのころは自動巻きクロノグラフの開発も行っており、70年になると同様の自動巻きクロノグラフが第二精工舎からもリリースされます。 セイコーは、ホイヤーやゼニスと違って、ムーブメントメーカーを買収するというわけにもいきませんので、自前の仕組みでクロノグラフの自動巻き化を推進することになります。そのプラットフォームに選ばれたのが、セイコースポーツファイヴでした。ホイヤーやゼニスと大きく違うのは、セイコーは当初からローコストを追求する選択をしていた、ということです。
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